共和政ローマ

思考の物置


 このページでは、DSSSM(松浦豊)の考えることを書いていくつもりでいます。
 体裁は少しずつ整えていくつもりでいます。


反論・意見求む!
私が「学校をぶっつぶす」ことを目的とするに至った過程
多様性の芽をつみ取るのが教師の仕事?
学力重視か? 動機重視か?
道徳教育が道徳を生むのではなく、競争原理が道徳を生む(改訂予定……)
主体的な人間を育てるにはどうすればいいか? new!(3/25)
学校図書館運営について new!(5/5)


ー学校教育に対する批判
学校現場を支配するキーワード
「やらせ」に対する批判
「意味のない提出物」への批判
「授業のあり方」への批判
子どもたちがホントに興味のあること
大人が用意する子どものための取り組みについて
「人権教育」に対する批判
「カリキュラム」(時間的制約)に対する批判
上意下達のカリキュラムが大事なのか? それとも、子どもの動機付けが大事なのか?
道徳教育への批判
高校の勉強は、全員にとって必要な内容なのか (2/17改訂)


−教育・政治・経済思うこと日記−
初日の出暴走へのコメントについて
政治家や医者に怒るのは筋違い
「政治不信」は民主主義のためにとてもよいことである!
   (人権に関する日本人の大勘違い!)
 new!(3/23改訂)














 以下、化石。


 ……まずは、「ちゃんとした議論がなりたつ為の前提条件」というか、

「誰の言うことも、またどんな仮説も、絶対的に正しいという事はあり得ないんであって」

「だから、試行錯誤(Trial & Error)でよりよい見識に近づく為に、お互いに謙虚に議論すべきで、他者が自分の仮説の欠点を示してくれたら感謝すべきなんだよー」

「自分の意見に固執する敵もうっとおしいけども、私の意見に賛同ばかりする味方も頼りにはならない。本当に得難いのは、私の考え方の欠点を示し、共により高い次元の見識に助け合いながら登っていこうとしてくれる、“誠実なライバル”である」

……とゆーよーなことを、カール・ライムント・ポパー*1の学説を引きながら書いておきたいと思っているのですが、いやいや、それが!


 これって結局、「この世にはなにか“正しい見識”というものがある」という考え方に真っ向から反対する考え方なわけですが、どうもこれは意見を交わす時の前提条件とかってーよりも、そもそも意見がそもそも交わせないよーな人たち、また意見が食い違う人たちと私(たち)との最大の相違点なんぢゃないの? っていうことがー。

 教育においても、倫理においても、政治・経済についても、この、

   “正しい見識”があるのよ派 vs. “正しい見識”はないのよ派
     (正しいことをとにかくやれ派)           (試行錯誤が必要なのよ派)

の相克というのが、根本のところの相克なのであって、「前提」にもってくるよーな話題ではないのではないか、という気がしているわけです。

 教育においては、学力低下論者たちの「学びのすすめ」とか、倫理においては「大人達の強い態度と教育が必要だ」派の跋扈とか、政治・経済においては「景気を回復させろ」の大合唱とか、そーゆーのがあまねく、「“正しい見識”があるのよ」派の思考方法がもたらしているものであるような気さえします(被害妄想?)。

 つまり、前提の話をするつもりなのに、巡り巡って、それこそが根本で最大の問題なのではなかろーかという気がしてしまって、書くにかけない〜、とかって思ったりしているわけですが、こんな書き方で読んでいる人(いるのか?)に分かるんでしょうか。たぶんわからないよね(^_^;

 いや実際、歴史記事とかってのはある程度書けると思うんですが、こーゆー文はあんまり得意な気がしませんね。まぁ、修行修行ってことで。


 また、気が向いたら増筆します(っていうか、そもそも自分のウェブサイトを更新していく今の最大の目的は、このページにあるんですが……)。



*1「カール・ライムント・ポパー」
…… ポッパーと表記されることもありますが、ポパーの呼び方のほうが私は好きです。1902〜94。オーストリア生まれのイギリスの科学哲学者で、科学的思考のあり方に大変革をもたらしたので一部では有名な様な気もしますが、ほとんどの場合学者さんたちの口の端にものぼらないので、「この人の業績って、世間の評価はどーなのよ?」っていう気はします。
 この人が主張したのは、電子百科事典エンカルタの言葉を借りれば、「確実な科学理論などどこにも存在しない」ってことでして、「すべての理論は仮説であり、反証(反論となる証拠)に開かれていなければならないし、反証を封じ込めようとする態度は、その科学理論の信頼性を失わせるんだゼイ」とゆーよーなことでした。
 「オレが正しいんだから、黙ってオレの言うことを聞け!」という様な態度が実は一番信用できない、ってな事?
 実際、教育現場ではこーゆーセリフ、あるいは精神がまかり通っているんですが、科学立国を目指すというなら、こういう知識を押しつけるやり方でなく、各自の試行錯誤が大切なんだよ、というポパー的な考え方をまず、充分に植え付けるべきではないかと思うんですが、現場の教師のほとんど全員が激烈反ポパー的な考え方してますからねぇ。