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日本の政治家は自分たちのことしか考えていない……というようなニュースに接する時、ニュースキャスターやコメンテーターの発する決まり切ったセリフに「政治家は、政治不信を招かないように行動すべきではないでしょうか」とか「この政治不信を招いた責任は重い」とかいったものがあります。 ところが、公民の時間に憲法や人権について教える為に、そこらへんの歴史を勉強していているうちに私は、実は「政治不信こそが民主主義を作った」のであって、政治不信はむしろ良いことで、政治家がやる政治を信頼していることの方が「よい政治がなされない」根本原因なのだ、という風に思うようになってきました。 もっとも、こんな考え方は誤解なのかもしれませんが、もし合っていれば大変な勘違いを日本国民のほとんどはしているという事になりますし、あるいは私が間違っていれば、それはそれでここに書いておくことによって「それは全然違うよ」と指摘してくれる人が現れるかもしれません。そうでなければ私こそが誤解したままになりますので、ここに書いておくものであります。 その後、カレル・ヴァン・ウォルフレンの『日本/権力構造の謎(下)』を読んでいて、恐らく私の考えと合致するであろう次のような文章を見つけました。「日本には、支配者というものは恩恵を施してくれるもので、また、国民の幸福を願っているものだという仮説がある。この仮説は国民が信じこむよう誘導されていることもあってゆきわたっている……」(ハヤカワ文庫 P132)。結局これは、日本の社会構造に起因していると思うのですが、そこらへんはまた別に書くつもりです。 人権、憲法、民主主義というものに関して、その歴史的経緯から考えていきたいのですが、まずは「人権」について。 「人権」ってなんだろう? という事を生徒に書かせてみますと(あるいは人々に聞いたとすると)「差別をしてはいけない」とか「一人一人を大切にすること」という様な答えが返ってきます。あなたもそう思ったのではないでしょうか。 ……しかし。しかししかし! 私はこの答えは、「人権思想の末端部分だけを取り出してきて、それが人権思想の根本であるかの様に見せかけ、人権思想の根幹について考えないようにするためのたくらみ」に乗せられてしまった、騙された結果としての答えではないかと疑っています。なぜそう思うのか? それはまた話がややこしいので、とりあえず私がより正しいと思う人権思想について説明します。 人権がない状態 まずは、「人権がない状態」について、思いをはせてみましょう。「人権がない状態」……差別が許容されている様な状態? 一人一人が大切にされていない状態? ……いや、たぶん、あなたが想像するよりもひどい状態だと思います。そして、その「人権がない状態」は、人類史上、ずうっと長い間、「当たり前の状態」でした。もちろん、ある程度マシだった時代もたくさんあります。が、それはあっという間に元のもくあみの「人権がない」ひどい状態になってしまうものでした。そして、今もなお、地球上の多くの国の人々には人権がありません(特にひどいのが、北朝鮮です)。 以下の様な状態が、「人権がない状態」、つまり、世界史上多くの期間と地域で、そうであった状態です。そうでない状態が(支配者の恣意によるのではなく)制度的に整えられてきたのは、たかだかこの数百年の、ホンの一部の地域でのみでした。そして、それらの地域でも、本当に100%人権が確保されているとは、ついぞ言えないのです(人権侵害自体は、いくらでもそれらの国でも今も起こっている)。 −人権がない状態− あなたたちはマックラ国の国民である。 マックラ国国民には人権はない。 よって、以下の制限にしたがわなければならない。 ・マックラ様を神とあがめるマックラ教を信じなければならない。 マックラ教以外の宗教を信じてはいけない。 ・マックラ国はマックラ様の子孫に代々受け継がれる。 ・マックラ様は国民からどれだけでも税金を取ることができる。 ・マックラ様が他の国と戦争をしたいと思ったら、国民は兵士となり戦わなければならない。 ・マックラ国のあり方やマックラ教を批判する考え方を持っている、というだけでも処罰される。 ・マックラ国を批判するような文書を書いたり、配ったりしてはいけない。マックラ国を批判するようなことを言うだけでもいけない。 ・マックラ国を批判するような組織、あるいはマックラ国を倒そうとするような組織を作ってはいけない。 ・マックラ国の考え方とあいいれないような学問は禁止である。 ・マックラ国の警察は、まったく自由に国民を逮捕し、拷問することができる。逮捕される人間が、犯罪を犯したりマックラ国に批判的な考え方を持っているという証拠がなくても全然かまわない。 ・マックラ国の国民は、どこに住むかを国によって決められる。勝手に移動してはならない。 ・マックラ国の国民は、親の職業をそのまま継ぐべきこと。親の職業以外の職に就くことは認めない。 ・マックラ国の国民の生命は、保障されない。国のために殺されても文句は言えない。 ・マックラ国の国民は国の政治に参加する権利はない。国の政治に対してお願いをする権利も認めない。 ・マックラ国の国民は裁判を受ける権利を持たない。国の役人が「犯罪者だ」と決めれば犯罪者だとして処罰されるし、不満があったとしても文句を受け付ける機関など存在しない。 写真は本文と関係ありません ですから、私がもしこの「マックラ様」で、あなたが国民の一人だとすると、私はあなたに何を強制しようと自由です。 授業では、私はこういう風に言っていました。「先生は絶対で、君らには人権がないとしよう。そしたら、君らはオレの言うことを絶対にきかなければならない。昨日オレが競馬でカネをすったとする。そしたらオレは授業にやってきて、君らに言う。『おい、オレは今カネがないんや。お前ら、オレに1000円ずつ出せ』。君らはどうする? 1000円出すという人は手を挙げて……ほおお、ええやつやな。君らの成績は上げたる(^^) じゃあ、1000円出さないという人、手を挙げて……。ほおお、ええ根性しとるな。そしたら、オレはこうするだろう。(胸ぐらを掴んで)『お前何考えとんじゃっ! オレが出せゆうたら出すんじゃっ! 痛い目にあいたいんかっ』。それで出さなかったら、まあ、骨の一本二本くらい折ったるかな。なにしろオレには、君らに言うことを聞かせる権力が与えられてる。反抗したら、もっとひどい目にあうだけだ。もしどうしても言う事を聞かないヤツは、死刑だ。それで、他のやつも言うことを聞かざるを得なくなるだろう」 (断っておきますが、上記の発言は「状況を理解させるための模擬的発言」であって、ホントにそうするという事ではありませんので。結構危ない橋を渡っていたと自分でも思いますが、そのひどさを理解させようと思えば、こういうたとえ話をするとしないとでは全然効果が違うと私は思うのです) .どうやって良い支配者の統治を継続させるか? なぜこういう状態が普通になってしまうのか、というと、世界史上、国や地域を誰か一人の「支配者」が治めるというのが普通だったからです。もちろん例外はありますが、まず圧倒的大多数はそうでした。 また、支配者が治めるにしても、上記の様な「人権のない状態」までひどい政治をせずに、良い政治をした人もたくさんいました。というより、良い政治をした人の方が多かったかもしれません。ところが、支配者が国や地域を治めている以上、「ひどい支配者」が出てくれば、今までのありとあらゆる恩恵は吹き飛ばされて、あっという間に過酷な政治が行われてしまうのです。 だから問題はこうなのです。「どうやって、良い支配者の統治を継続させるか?」 生徒に聞くと、こう言います。 「反乱を起こして、そのひどい王様を殺して、議会を作って民主政治が行われるようにする」 だがこれは実は、後知恵なのです。歴史上、「議会を作って民主政治」などというのは、考えもつかないあり得ない政治体制だった、という事に注意する必要がある(アテナイの民主政治なんていうのは女性と奴隷に生産を全部させて、暇な男たちがやっていたものに過ぎないのでこの際除外)。 今、(形ばかりとはいえ)民主政治の中で暮らしている人は「議会で民主政治」とかって簡単に言いますが、それが、想像を絶する苦闘の中からおびただしい血を流して少しずつ形になっていったものだという事を理解するのが、私が授業の眼目としていたことでした(あんまりそうできたとは思えませんが……)。 だからその答えは却下です。 「当時、そんな考え方はあり得ません。それ以外の方法を考えなさい」 と言う。 そうすると生徒はこう答えます。 「じゃあ、(反乱を起こした)オレが王様になって、いい政治をする。」 私はこう聞きます。 「お前、死ぬまでいい政治ができるかぁ? そのうち堕落して、みんなからカネをとったりするんじゃないか?」 「そんなことしないよ! オレはいい政治をして、いい人のまま死んでいくんだ」 「そうか。すばらしい! じゃあ、お前が死んだ後はどうなる?」 「オレの子が跡を継いで……いい政治をする」 「お前の子がダメダメだったら?」 「そんなことないって。オレの子孫はずっといい人ばっかりだぜ」 「じゃあ、お前の子孫がずーっといい政治をして、何十代も続いていく?」 「そう」 「そうか(^^) しかし、歴史を見てみたら、そんな例はまずない。必ずどこかで堕落した支配者が出てきて、民衆を苦しめるんだ……。ずっと人々は、そんな世界で生きてきた。」 ところが、ある時期の、ある地域の人たちが、またぞろひどい支配者の過酷な政治を前にした時、今までと同じように「単に違う支配者を置く」のではなく、その支配者のままでも、あるいはどんな支配者が来たとしても、ひどい政治をやらせない為の仕組みを、構築し始めました。 それが、17,8世紀のヨーロッパとアメリカだったのです。 じゃあ、具体的に彼らはどういうことをしたのか? それはだいたいこの3つのパターンにあてはまります。 1.民衆が王に力ずくで権利を認めさせる 2.どんな人にもそういう権利がある(べきな)んだ、という考え方を広める 3.王のいない国を作って、民衆が自分たちで国を治める では具体的に、それぞれの例を見ていってみましょう。まず第一は、時代はぐっと前になっちゃいますが、1215年イギリスのマグナ・カルタ(大憲章)。このマグナ・カルタ、当時は実質的に意味がなかったりしたのですが、のちのち人権獲得のための論拠となったので、非常に重要だと言えるのです。 1215年:イギリス マグナ・カルタ(大憲章) ことの起こりは、当時のイギリス王、ジョン欠地王が、あまりにもバカで愚劣でマヌケでアホだったことによります。……とか言うのは言いすぎで、このジョン王、結構名誉回復の動きもあるというのですが、イギリス王家に「ジョン」を名乗る王様が2度と、未来永劫出ないと言われるほど、忌み嫌われた王様であるというのも事実。 このジョン欠地王、わがままで短気、道徳的観念を欠く人物だというのですが、フランスと戦っては負け、戦っては負け、戦争の費用のために課税をしまくり、不満をつのらせた貴族達は反乱を起こして、ロンドンを占領してしまったのです。 ことの重大さを悟ったジョン王は貴族らと会見し、マグナ・カルタを承認。マグナ・カルタの主な内容は、「自由人の生命、自由、財産は、法律の手続きなしには侵害されない」という事でした(……って、実は内容にも色々異論があるようなのですが、とりあえずおいといて)。 つまり、「王様は自分の国内でなんでもできる」というのが、王様以外の人の権利を侵害させるモトになっているわけですが、「王さん、アンタええかげんにせえよ」と。 「むちゃくちゃさらしやがってホンマなに考えとんねん。アンタがなんぼ偉いゆうたかて、それでオレらの命や自由や財産まで全部アンタのもんやと思われとったらかなわんわ。オレらにも、もともとこれこれの権利はあったはずや。それを保障せえへん王さんの言うことなんか聞けへんぞ。ええか、覚えとけよっ」 ……という様な感じでしょうか? 教室で教師の権限を振りかざす先生に対して……と見立てると、こうなります。生徒達が先生の横暴に対して反乱。先生に対して、「先生、せめてこれだけ、ボクたちの権利は保障してもらいます。そうでなければどうなっても知りませんよ」と、その権利を認めさせた……。 ところがこのマグナ・カルタ、実はそもそも内容がぐちゃぐちゃで、貴族たち自身にも不満があり、しかもわずか2ヶ月後には廃棄され、長らく忘れられていた……とかなんとか。しかし、350年くらい後に思い出されて、国王の権力制限の根拠とされた、という事らしいのです。 当時の歴史的意義としては実はアヤしいマグナ・カルタですが、後に「論拠」としては役に立った、という感じでしょうか。忘れてはならないと思うのは、ジョン王があまりにもバカで無茶をやってくれたおかげで、今の我々の人権につながる動きのもとが出来たのだということ。ジョン王に感謝しましょう(^_^;。 1689年:イギリス 権利章典 さて、次は時代がぐっと下がって1689年。日本では江戸時代で、徳川綱吉の頃です。 細かいことははぶきますが、この頃イギリスではまたぞろ、時の国王に対する不満が非常に高まりました。まったく、イギリスの王サマというのはすごい王様もいますが、ダメな王様もかなりいっぱいいるんですね。でもそのおかげで民衆が「こんなやつに任せておけるか! オレたちが自分でやる!」という考え方を育てることができたと言えるでしょう。その点、日本ではそこまでひどい天皇とか将軍とかってわりといなかったので、だから民主主義的にならずに「お上」の恩恵に頼るという思考構造になっていると言える。 それはともかく、当時のイギリス国民が考えたことはこうでした。「今の国王なんぞもういらん! 国王を追い出して、外国に行っている今の王の親戚を、オレたちの王にしよう!」 現国王は最初、「ふん、そんなことできるものか」とたかをくくっていたのですが、どんどん情勢が悪くなり、結局は逃げ出してあたふたと海外逃亡してしまいました。そして、イギリス国民は、外国から新しい国王を迎え入れたのです(この事件を、名誉革命といいます。なぜ「名誉」なのかと言えば、血を流さずに革命を成し遂げたので「すごい!」からです)。 ただ、新しい国王を迎え入れる時に、またその国王(およびその子孫)が勝手なことをやって、イギリス国民を苦しめてしまったのでは一緒です。だから、この時、新しい国王に重要な約束をさせました。それは、 「王様も、議会で決まったことには従ってもらいます」 と、いうこと(もともとこの約束を守ってもらう条件で、迎え入れたのです)。 具体的に言えば、税金をどれだけ取るかとか、あるいは次の国王を誰にするか、とかも、議会で決めます。この議会で決まったことに、国王は従ってもらいます、と。 と、いうことは、これからほとんどの事は、王サマが決めるのではなく、国民が決めるという事になります。王サマが何かを決めようとしても、国民が反対すれば終わりです。今までとの違いは非常に大きい! 学校の例で言えばこうなるでしょうか。 ある学校のあるクラスが、そのクラスの担任の先生の横暴に耐えかねて、「こんな先生はもうイヤだ!」と、実力行使で追い出した。そして、新しく来る担任の先生には「私たちが学級会で決めたことには、先生といえども必ず従ってもらいます」という条件付きで来てもらうことにした……。 この場合(イギリスの場合でもですが)、そのうち先生(王様)が約束を破り始めたら、どうなるのか、という疑問がわきます。そんな条件付きで迎え入れられたといえども、先生(王様)です。基本的に偉そうにしてそうな人種です。そのうち、うまく約束を破られて、結局もとにもどってしまうかもしれないのではないのか? これは、まったくそのとおりです。約束はさせたことになってますが、この約束が未来永劫守られる保障なんてありません。じゃあどうするのかというと、そのクラス(国)の子たち(国民)は、約束が破られそうになれば、実力行使する、あるいは、約束が守られないようだといつでも実力行使するぞという態度を見せておく……という事になります。 新しく来た担任の先生にも、「あんたがもし私たちの約束を破ったら、こんなひどい目にあいますよ」という事を常にちらつかせておくわけです。もちろん、いい関係が続くときもあるでしょう。そういう時はあんまりそういう事をしなくてもいいわけですが、関係が悪くなりそうだったら、どっちの力が優越しているのかを、常に示しておけるようにしておかなくてはならない。この努力をやめたら、機会があればあっという間に、先生(国王)の言うことを聞かなくてはならないように、またなってしまうでしょう。 ですから、約束をさせた、ことも重要ですが、実はそれに劣らず重要なのが、「約束を守らせるように常に努力している」という事です。この努力をやめたら、自分たちの権利は失われてしまう、ということなのです(実はここのところが、日本人がほとんど全然分かっていない部分でもあるのです。約束をしてあれば(法律に書いてあれば)それが守られる、守られて当然、だと思ってしまっている。ところが、全然そうではない)。 ……と、話が長くなりましたが、この名誉革命の時の「約束」を「権利章典」といいます。この権利章典は、1689年に成立しました(名誉革命は1688〜89)。 で、この1689。この後100年ごとに重大な事件が起こるので、覚えていて損はない数字です。 具体的には、 1689年 権利章典(イギリス) 1789年 フランス革命(フランス) 1889年 大日本帝国憲法(日本) 1989年 ベルリンの壁崩壊(ドイツ) となります。特に上3つは、人権にかかわる大事件なので、おさえておいた方がいいでしょう。 さて、上記のようにして、イギリスにおいて人権が獲得されました(もっとも、これは権力者間の権利争いに過ぎず、民衆の権利獲得はもっと後だ、という話もあります。つまりこの後も民衆はずっと、自分たちの権利獲得(維持ではなく)のために戦い続けたのだ、ということなのですが、話の単純化のためにこの稿ではあまり触れていません)。が、それは当然ながら、イギリス国内だけでの人権です。イギリス国民の人権は保障されなければならない事になりましたが、イギリス以外の国や地域の人の人権なんぞ、当のイギリス国民にとってさえも、どうでもいい話に過ぎません。 この悲しい現実を如実に表しているのが、当時イギリスの植民地であったアメリカの話です。先に、イギリス国民は、議会の決定なしに勝手に徴税されない権利を獲得した……という風に書きましたが、アメリカに住んでいた人々には権利など何もなく、イギリス議会はまさに、勝手にアメリカ人に徴税することを決めたのです。それに対して反発して起こったのが、次に触れる事件、アメリカ独立宣言でした。 1776年:アメリカ合衆国 アメリカ独立宣言 (以下、続く) |