思考の物置

私が「学校をぶっつぶす」ことを目的とするに至った過程



 ある授業中、私は生徒達から、「松浦先生は将来何がしたいん?」と聞かれ、ちょっと答えにつまってから、こう答えました。

「……学校をぶっつぶす!」

 生徒達は「ええ〜」と驚いて?いましたが、中には「賛成や!」と言う子もいました。あるいは、「頑張ってな。応援してるから」と言う子もいました。


 「ぶっつぶす」と言っても、校舎を壊すとかそういう事ではなく、「学校制度を変える」という事であります(生徒がそこまで理解しているかどうかは不明(^_^;)。
 が、私とても最初っからそう考えていたわけではなく、長くつらい葛藤がありました。


 学生時代、勉強自体はそれほどイヤではなかったものの、受験のために勉強を強いられるのがイヤでイヤでたまりませんでした。そんな反発から、教育論の聖典と言われる?ルソーの『エミール』を高校2年の時に読んで、「ほら! 教育ってそういうものじゃないじゃないか!」とか思っていたのですが、いちおー大学には受からなければとは思ってしまう小心者だったので、『エミール』を読むのは封印しておいて、いちおう勉強らしきものをします。
 で、一応大学には補欠で合格できたのですが、『エミール』解禁となってうおおう、うおおうと読んでいて、こういう考え方が形成されました。
「教育って大事だ。でも、教師って大変だから、オレは絶対なりたくないな!」

 ところが、ところがところが。
 ある時叔母の家に遊びにいったのですが、その時、そのこと(教育は社会で一番重要な仕事だと思うが、教師は大変だから絶対やりたくない)を言ったら、叔母にこう言われたのです。
「それは逃げだ!」

 ががががーん! 大ショック!
 一応哲学畑の人間として、『論語』の「義を見てなさざるは勇なきなり(すべきことを見て、知っているのに、それをしないのは勇気がないからだ)」という言葉を「いいなぁ。座右の銘にしよう」と思っていた私としては、これは反論できない自分の間違いを真正面から指摘されたも同然でした。

 ですから、その場でこう思ったのです。
「たしかにボクは間違っていた。教育が大事だと思うのならば、それを仕事として選ぼう。そうでなければ、自分には勇気がない事になる。ここでなすべきことをしようとしないのは、恥であって、自分自身も自分を嫌悪してしまうことになる!」
と。

 そういうわけで教員資格の単位をとりはじめたのですが、最初のうちはわりと素朴に前向きだったと思います。「楽しい授業をしよう」という考えがほぼメインで、それ以外のことはあまり悩んでいない感じでした。

 ところが、採用試験にはひたすら落ちます。当初は1次は受かっていたのですが、そのうち1次にも受からなくなってきました。教職採用試験がどんどん狭き門になっていっていたのですね。ところが私は、受験勉強が大ッキライな人間なものですから、教職採用の受験対策用の本とかを買ってきて勉強するという事まったくしませんでした。むしろ、どういう考え方で教育現場に望むべきなのか……という様なことには興味が湧くので、そういう関係の本を買ってきて読むわけです。

 そんな中に、『学校は死んでいる(School is Dead.)』エヴァレット・ライマー 晶文社) という本もあり、内容としては「学校制度はそもそも、階層的な社会制度を保存するために役立っているに過ぎない。教育はむしろ学校制度外の学校によってなされたほうがよい」という様なもので、この本がきっかけとなって私は、「教員採用試験に受かったとしても、2〜10年で辞めて、学校以外の学校で働きたい(なお、その際に教員の時の経験を反面教師として役立てられるだろう)」と思うようになりました。

 が、学校以外の学校(オルタナティブ・スクール)への道も知らないですし、とりあえずは教員採用試験を受け続け、受験勉強も、なるべく自分が興味を持つように引きつけながらならなんとかできる様になってきたので頑張りながらやっていました。が、やっぱり受からない。

 この頃、だいぶ色んなことを勉強し、教育問題に関しても自分なりの仮説を色々考え、やや自分なりの傾向というものが出来つつありましたが、それでもかなり、その時々で考えの揺れが生じました。なにしろ記憶力もないし、テレビや本である説が言われていると、「ふむー、なるほど」と思い、また別の機会にそれと逆のことが言われていても「ふむー、なるほど……」と思うという(^_^;。

 そこで多分、一時期、私の思考においてある一つの解決法となったのは、「バランス主義」と「ある一つの方法は良い面と同じくらい悪い面があり、悪い面と同じくらい良い面がある」という考え方でした。まぁつまりは折衷的なやり方のバランスの取りようが問題なのであって、どちらかに偏ってはいけないのだろう、という考え方ですね。
 「自由にさせることも必要だ。だが、強制的にやらせることも必要だ。どちらかに偏るからいけないのであって、そのバランスを取らなければならないのだろう。」というような……。

 その頃、とある県から「社会科講師として来ませんか」という話があったので、喜んで行くことにしました。初めての普通校の教師としての経験です(それまでは養護学校の経験だけでした)。

 1年目は基本的に授業案を作ることと状況に慣れることに必死だったのですが、私の今までの経験則、「8ヶ月でその組織に慣れて、色々積極的に働きかけることができるようになる」の通り、特に総合的な学習の時間については、自分の考えを声高に主張するようになりました。当時の私の考え方は、「新学習指導要領」そのままの考え方でした。当時「学びのすすめのアピール」は出るか出ないかの頃で、寺脇研さん、宮台真司さんらの「学校は自らの役割をダウンサイジングして、生徒の試行錯誤による学びに道を広げていく」という考え方にその時私自身共鳴していましたし、また、それこそが文部科学省や教育委員会の指導する道なのだから、という背景もありました。その改革路線に抵抗しているのは現場の教師たちの古い考えなのだ、という風に、当時は多分考えていたのだと思います。

 つまり、その時点(学力低下論争で、低下論側が勝利を収めるより前)までは、おおむね私は、「学校は改革しなければならないが、それは文部科学省も目指すところであり、私なりの改革への考え方と、文部科学省の改革案は合致している。だから、将来的には私は学校外へ去るとしても、学校の内部でも改革は可能である」と考えていたのです。


 ところが2年目には、そのような考え方が出来なくなってきます。
 それには色々な要因があると思いますが、どれも多分決定的ではありません。複合的に、私は以前の考えを捨てて、「むしろ、学校をぶっつぶす側に回った方がよいらしい」と思うことになりました。

 恐らく理由としては以下のようなもの。

◆学校現場のシステム自体が、「生徒への押しつけ的なもの」であるという事が良く分かってきたこと。生徒の話を聞くよりも、教師が一方的に喋ってそれを聞かせることの方が良いのだ、というメンタリティやシステムに私自身が耐えられなくなってきた。

◆官僚や、あるいは日本的メンタリティのあり方からしてこれが根本的に逆転することは非常に難しく、また逆転を上から起こさせることが望ましいあり方でもないと思われること。

◆改革派に対して反改革派が大反撃を始めたこと。それに伴ってか、生徒押さえつけ型の教師の跋扈が私の目につくようになり、こんな人たちとは一緒にやってられない、と思われ始めたこと。

佐々木賢さんや宮台真司さんらの本など、教育関係の本をこの時期網羅的に読んで、「学校が良いモノであるという事を前提にした考え方」よりも、「学校はもはや悪いもので、捨てた方が良いのだという事を前提にした考え方」のほうが、より整合的に考え方を組むことができ、無理な強弁をしなくて済むのだ、という事が分かったこと。


 これらのことから、私は学校現場で、「大人たちによって教師に求められる仕事」をやることに大変な苦痛を感じるようになりました。それでもどうしようか悩んではいたのですが、道徳教育の研修会に行った時に、「自分たち教師のやり方が良いモノだという自信を持って、生徒達に道徳を教え込んでいこう!」というようなセリフを偉い人が喋るのを聞いて、「あ、これはもう私は辞めた方がいいな」と思いました(道徳教育も私の非常に興味のある所であって、それは押しつけによってはほとんどなされない、と私が考えていたことも影響しています。じゃあ何によって道徳教育はなされると私は考えるのか、という事に関しては、また書くつもりです)。


 「学校をぶっつぶす!」などという考え方・生き方は、生きづらいものであることも分かっています。また、私は行動が先に立つ方ではなく、思考優先の人間であるために、世で活躍していらっしゃるフリースクールの人たちに伍することもできないであろうと分かっています。ただ、自分がその人たちや、子供たちに役立つことも出来るだろうと自分を慰めるのみです。

 そしてまた、私は自分の考え方が正しい、という保証などないという事も分かっていますし、また、フリースクールはなべて素晴らしいところである、というわけでも絶対にないでしょう。

 とりあえず無職状態の中でできることは、自分の考え方のどこまではほぼ正しいと考えることができるが、どこから先はアヤしいと思うべきなのか検証すること。また、どういうやり方が成功しそうな道なのかを考える事だと思っています(就職活動も一緒に(^_^;)。