寺脇研
(てらわき けん)


 文部科学省の官僚で、よくテレビにも出ていた「(旧)文部省の広告塔」?
 もともとは、偏差値撲滅に東奔西走し、「ミスター・偏差値」と呼ばれたそうなんですが、その時代のことは私は良く知りません。
 私が知っているのは、新学習指導要領(総合的な学習の時間などをカリキュラムとして含めた、いわゆる「ゆとり教育」路線と呼ばれるもの)の文部省の広告塔としての寺脇さんで、非常によくテレビに出て、また本も書いて、対談などもして、新学習指導要領の路線のことを説明していました。

 ……と書くと、単に文部省の政策の説明をするだけの「説明係」「答弁官僚」としての人物像のようなものが思い浮かぶかもしれませんが、そういう感じではなく、自分なりの考えをもって柔軟に受け答えしている感じの人でした。

 主張としては一応やっぱり新学習指導要領そのままなわけですが、特に重要な点だけを書けば、「今まではあまりにも詰め込みでやってきたが、それは無意味な負担も大きかったし、今の世の中にもあってない。学習のペース配分を遅くして余裕をもって学べるようにしていきましょう(削減というよりは、学習ペースをゆとり化するということです、という事を良く言ってました)」というような感じでしょうか。

 で、この人は「(ある単年度でのカリキュラムから見れば)3割を削って、クラス全員が理解できる学習を用意できるようにする」と言ってまして、私は「うーん、なるほど」とか思ってたんですが、私自身現場を経験し、また市川伸一さんなどの教育学者が「3割削っても8割削っても、全員が理解できるようにはならない。理解できない子は必ずいる。寺脇さんは、子どもの能力差を低く見積もりすぎている」と言っているのを読んで、「確かに寺脇さんの言っていたあの点は無理だ」と思いました。しかし、その他の主張(旧文部省が出していた新学習指導要領の考え方)は、ほぼ正しいものであったと今でも思っています(ただし、大学受験を変えない限り、学習指導要領をどう変えようとムダだ、というのも確か)。

 しかし、2002年頃から学力低下論者が跋扈し、文部科学省自体が「学力重視路線」を打ち出すようになると、寺脇研さんの姿はほとんど見られなくなってしまいました。もしかして、省内で左遷されたんでしょうか? うーん……。


 テレビ上の寺脇さんの姿で印象深いのは、教育改革について、橋爪大三郎さんらが非常にドラスティックな改革案を提示した時、「この案は確かに素晴らしいものだと思いますが、我々は民意を受けて考え、実行していくわけで、民意がこれを支持するようにならなければ、動けないのです」というような事を言っていたことでした。まぁ、官僚は省益、あるいは局益のために動いている、というはつとに言われるところではありますが、官僚は決断主体ではない、というのも確か。決断の主体は、政治家、ひいては国民にある、というのは重々承知していなければならない、と思うのであります(何もかも官僚のせいにするのではなく)。


 著作リスト(対談が含まれているものも含む):
『21世紀の学校はこうなる』(新潮OH!文庫 寺脇研)
『どうする学力低下』(PHP研究所 和田秀樹・寺脇研)
『学校の役割は終わったのか』(NHK出版 NHK「日本の宿題」プロジェクト(編))