思考の物置

学校図書館運営について


学校図書館運営について



 本稿では、まず基本的に、学校図書館以外に教師が自分の蔵書によって「○○文庫」(○○にはその教師の名前を入れる)を置くことについて扱います。
 そしてその○○文庫に多様なメディア(マンガ、雑誌、CD、DVD、ゲームなども含めて)を置くこと、○○文庫から生徒とのコミュニケーションが広がることを扱い、さらに親や地域の人々による○○文庫開設、およびそのコミュニケーションの広がりの可能性に関して言及します。
 また、学校図書館の本を生徒に選ばせることについてや、子どもの前で普段から大人が本を読んでいることが子どもに与える影響について付記します。

 以上は具体的な実践、あるいは提案についてですが、本稿での基本的な考え方(私自身の考え方や、実践から引き出した教訓など)は、以下のようなものとなります。

・大人が子どもに読ませたいものを読ませることによって「よかれ」と思われる道に導いていくよりも、子どもが自ら自分の運命を切り拓くことができるように、子ども自らが選び取る学校図書であるべきではないか。

・「良い本が置かれていて、それを読むことが出来る」ということよりも、「先生らと同じ本について楽しく話題にすることができる」ということの方に、生徒は高い価値を認めている。教師側にとっても、一方通行の本提供よりは、共感的コミュニケーションのつなぎ目としての本提供であるべきではないか。

・懐古的・普遍的で抽象的なものよりも、現在的・即時的で具体的なものが求められている。








○○文庫のススメ

 以下は、学校図書館による生徒への本の提供だけではなく、教師個人による生徒への本の提供をしてはどうか、ということに関するものです。


 私はもともと、自分自身の勉強を兼ねて歴史関係のマンガや、経済関係の入門書などなどを買い漁っており、それらを生徒たちにも読めるようにしたいと考えていました。

 ある中学校に赴任するにあたって、校長先生に許可をもらい、廊下に本棚を設置して、そこにそれらの本を置いて生徒が自由に読めるようにすることができました(もともとその中学校では、学校図書館が併設の小学校棟側にあり利用しにくいこともあってか、いくらか廊下に本棚が設置されて図書が置いてあったり、個人寄贈の文庫の本棚、中央図書館からの配本の本棚も置かれていました)。


 結果として、いろいろな問題も起きましたが、良い成果もありました。良かった点を列挙してみると、『お〜い、竜馬』というマンガを読んで坂本竜馬の生き方に非常に感動を受けた生徒が出てきたこと。古代オリエントや平安時代、室町時代、幕末などを舞台としたマンガを読んでそれらの時代に興味を抱き、知識を得た生徒が出てきたこと。『スラムダンク勝利学』という、スポーツの試合で勝つにはどう自分を鍛えればよいかという本や、竹中平蔵氏の書いた経済の入門本などを「面白い」といって読む生徒が出てきたこと。マンガで医療現場の問題に触れ、自分の将来についてじっくり考える契機になった生徒が出てきたこと。北朝鮮問題など、生徒が非常に興味を持っていることに関して特集した雑誌を持っていったところ、生徒が目を皿のようにして読んでいたこと。調べ学習の時に利用価値が高かったこと。そして、それらの本を通じて生徒との対話が広がり、生徒とのコミュニケーションが非常に豊かになったこと。

 以下に詳しく事例を述べますが、おそらくは「生徒とのコミュニケーションが非常に豊かになったこと」が最も価値あることだったのではないかと思います。そのためには、「教師が読んだことのある本」が置かれていることが重要なわけで、学校図書館に教師側が読んだことのない本を置くことよりも、(生徒側が読みたくなるような本でありさえすれば)教師が既に読んだ本(つまり教師の蔵書)を置くことの方が価値は高い、と言うことが出来ると思います。
 もちろん、学校図書館用の予算で、教師が読んだことのある本を置いてもいいのですが。また、図書館司書がいる場合にはもちろん、上記のようなことはだいぶ事情が変わってくるでしょう。


 本を置くにあたっては、ノウハウがあったわけではなく、試行錯誤でしたし、途中浮かび上がってきた反省点についてもほとんどの場合有効に対処できませんでした。しかし参考になるように、私自身の考えたことと実行過程、および反省点について以下で述べていきます。


・本棚について

 すべて自費でしたので、本棚としては1000円で売っているカラーボックスを利用し、しかもお金をケチって本をぎゅうぎゅうに詰め込んで置くようにして必要最低限の個数しか買いませんでした。しかしこれはあまりよくない置き方でした。
 カラーボックスは本棚としては非常に中途半端で、詰め込むのでなければスカスカですが、詰め込んでしまうと前後、上下に積み重なって取り出しにくく、見通しも悪くなります。つまり、整理がしにくくなるわけです。
 そのため本を置く段階でもきれいに置くことができず、生徒としても乱雑に本を置かざるを得ないという状況でした。できればきちんと並べられる本棚を用意し、誰がどの本を今読んでいるのかという管理もした方がいいのでしょう。「○巻がないけど、どこ?」というようなことがよくありました。



・その中学校の事情について


 私がいた中学校は能登半島の本当の先端を校区とし、校下内には本を少しでも置いている店もまったくなく、最も近い本屋に行くのに車で20分ほどかかります。生徒たちは、親に町の中心地や金沢に連れて行ってもらえる時にはいくらか本屋で本を買ってもらうこともできるようですが、普段自分で好きな時に本屋に行って本を見たり買ったりということはできない状況です(中にはインターネットで本を注文している生徒もいますが)。
 そのような状況でしたので、生徒がわりとすぐに本屋に行ける状況の学校でよりも、○○文庫は意味があったのでしょう。逆に言えば、すぐにそれらのメディアに接することのできる生徒ばかりの学校では、○○文庫はその意味をかなり減ずることになるでしょう。まったく意味がなくなるわけではないと思いますが。





・置いた本について


 マンガ以外の本


 自分が好きで買った本や、勉強のために買った本の中から、「これなら生徒も読みそうかな?」と思ったものを置いたのが基本です。ただ、一時期は「生徒が読みそうだから」と買って、自分は読まずに置いたものもあります。これらは、あるものは成功し、あるものは失敗でしたが、それは、自分が読んだことのあるものとの差はないかもしれません。
 これらの本では、私はマンガほどには生徒とのコミュニケーションは活発化しませんでしたが、それはしかし相対的なものとは言えるでしょう。これらの本でもコミュニケーションの活発化はいくらでもできると思います。



 評判が良かったものでは、

■『わたしたちの名言集Best100(1〜3)』(ディスカバリー21)
 CMやドラマや歌詞、マンガの中から若い子たちが選んだ名言集。一時期生徒の間でひっぱりだこでした。

■三国志関係の本
 『歴史群像』『歴史読本』などで三国志が特集されたものや、正史三国志など。もともと横山光輝の『三国志』が学校にあり、好きな子はそれらの特集本も読んでいました。

■『刑務所のすべて』(坂本敏夫 日本文芸社)
 この本は私は読まずに、「生徒が読みそう」な気がして買いました。わりと面白おかしく書いてあり、絵図も豊富だったので。別に捕まりそうな生徒がいるわけでもなんでもなかったのですが、生徒たちは興味があったようで、順番待ち状態であったようです。

■『イミダス特別編集 人類の起源』(集英社)
 ある生徒が歴史の調べ学習の時に利用していました。「サルからどうやって今みたいな人間になったか興味がある」からとか。他に公民で、学研の最新科学論シリーズの『遺伝子特集』でクローン問題について調べていた生徒もいました。

■『スラムダンク勝利学』(辻秀一 集英社)
 『スラムダンク』という人気バスケマンガを題材にスポーツ勝利学を扱った本。別に文庫に置くつもりはなかったのですが、ある時私が読んでいるところを生徒が見て、貸してほしいというので貸しました。その後数人が読んで「先生、これ面白いな」と言っていました。

■『竹中教授のみんなの経済学』(竹中平蔵 幻冬社)
 竹中平蔵氏が書いた経済の入門本。4コママンガなども入っているものの、やはり少し難しいようで、よく政治経済関係のことを話題にしてくる生徒が読んでいて感想を聞いたところ、「よくわからんけど、興味があるから」という風に言っていました。
 ただ、より売れている『経済のニュースが面白いほどわかる本』(細野真宏 中経出版)も置いてあったのですが表紙が硬そう(?)なので敬遠されたのでしょうか。


■『数の悪魔』(エンツェンスベルガー 晶文社)
 算数・数学の楽しい本。これも私は読んでないで、帯に「小学生からも反響が」というような事が書いてあったので買って置いときました。読んでいた生徒に「おもしろいん?」と聞くと、「数学の授業よりは面白い」と言っていました。

■『狼に育てられた子』(シング 福村出版)
 子供向けの本では全然ないので置くつもりはなかったのですが、たまたまカマラとアマラのことが話題に出てきた時に生徒たちがまったく信じなかったので本を持ってきて置いておきました。文章はあまり読みやすくないのですが、巻頭に写真が数ページあるので。


■『戦後50年史』
 1995年に出た、戦後50年史の写真本。生徒は猟奇事件の写真なんかを見て喜んでいるというかイヤがっているというかしてましたが……。資料価値はかなりあると思うのですが、どれだけ生徒のためになったのか、良くわかりません。


■テニスの本(入門本や雑誌)
 男女ともソフトテニス部なので。プレイの参考にというよりは、プロプレイヤー(硬式)に関する情報源として読まれていたようです。


 他に、方言に関する本や、名字に関する本は人気がありました。


 その他に置いた本(評判不明)

■阪神大震災の写真集
■『歴史群像』シリーズ本
■『一億人の昭和史』の写真シリーズ
■司馬遼太郎の作品
 歴史好きの子が読むかと思ったのですが、ここまでは敷居が高かったようです。

 などなど。


 また、生徒が自分で家でホームページを作ろうとしている時に相談を受け、HTML(ホームページを作るための文法)の本を貸しました。ただ、私の手持ちの本はバージョンが古い本だったのでその後バージョンの新しい本を買って来て貸しました。
 また、先日はある生徒が「先生、『話を聞かない男、地図が読めない女』の文庫版買っておれにちょうだいよ〜」と言ってきたり。その時は「自分で買え」と言っておきましたが、こういう風に生徒が読みたい本に関してコミュニケーションが成り立つのが○○文庫の良いところだと思います(もっとも、学校図書館でも予算を一度に使ってしまう方式でないようにしていれば、可能でしょう)。





 マンガを置くことのススメ

 マンガを置くことに関しては、強い抵抗感があると思われます。確かに低劣なマンガが多くあることも事実ですが、一方で非常に素晴らしいマンガも数多くあります。
 別に「マンガならなんでも置けばよい」ということではなく、教師が読んで「これはいいマンガだ」と思ったものは制限付きで学校に置けば、種々の良い共鳴現象が生徒間にも、生徒−教師間にも働くのではないでしょうか。

 文部科学省の寺脇研氏はその著書の中でこう書いています(『21世紀の学校はこうなる』P71)。

 (あちこちの学校を訪ねた時)もう一か所必ず行くところは図書室です。なぜかというと、図書室の雰囲気を見れば、ここの学校の子どもたちはどのぐらい本を読んでいるかがよくわかるからです。私はマンガを置いてもいいと思うし、赤川次郎の本などがあったっていいと思う。難しそうな立派な本がたくさん置いてあっても、抜き出して読書カードを見るとほとんど真っ白。こんな誰も読まない本を置いてもしようがないのではないか、と思う。


 マンガが生徒にとってとっつきやすいものであるのは事実です。難しそうな立派な本を読んでもらえれば嬉しいのも事実ですが、立派な本を揃えることに偏ってしまって、学校図書館や○○文庫に誰も見向きもしない、ということになってしまっては、何にもなりません。
 私が考えるのは、「難しそうな本も置くが、簡単で面白そうな本も置く」ということです。そして、「難しそうな本を読め」と強制はしないが、強制にならない程度にいろいろと誘ってはみる。一方で簡単で面白そうな本(マンガなど)は、あまりそればかり読まれてどうにもならなくなっても困るので、最低限の制限はかけておく。
 とにかく、学校図書館なり○○文庫なりの本棚の前に子どもが来たくなるのが重要なので、そこに自由に読める本としてちょっと難しそうな本でも興味のありそうなものがあれば、子どもが手にとってぱらぱらと見てみる。そういうふうなことが期待できるのではないかと思います。

 それから、教育問題の本を読んでいると、子どもが学校に期待していることの1位は実は、友達や先生とのコミュニケーションだ、という調査結果がよくあります。
 私は自分の文庫でマンガを提供していたわけですが、年度末に異動があるかもしれないよ、と生徒と話していて、生徒が「異動して欲しくない」と言う。「マンガを全部持っていっちゃうから?」と聞くと、「そうじゃなくて、マンガのことで話が出来る先生がいなくなってしまうのがイヤだから」と言われました。
 それを聞いた時には「ええー? どういうこと?」と良く分からないでいましたが、子どもが一番求めているのがコミュニケーションであるということを考えると、納得がいきます。子どもにとっては、「マンガが読める」ということよりも、「(マンガという)共通の話題でコミュニケーションができる(それも先生と、共感的に)」ということの方が価値が高い。
 教師側がマンガを置くときにも(あるいは○○文庫でどんな本を置く時でも)、このことを良く意識した方がいいと思います。「これは良いマンガ(本)だと聞いたから、自分は読んでないけど置いておく」では、ダメだということです。「このシーンで感動したよね」だとか、「あの登場人物についてこう思う」だとか、そういうコミュニケーションをとれることの方が、子どもにとっても価値が高い。当然、教師にとってもそのことの価値が高くあるべきでしょう。一方的に「ほら、いい本だぞ、読め」ということで終わるのが、学校図書館や○○文庫の役割ではない、ということです。
 そして、マンガというのは、読みやすく、読みたがられるもので、小説などに比べて速く読み終わることができるために、わりと素早く「読んだ人」の輪が広がるという点でもすぐれていると言えます。

 ただ、もちろん、その欠点も確実に認識しておくべきでしょう。程度のひどいのから挙げれば、「授業中に読んでいる」「授業が始まっても読むのが止まらない」「先生が授業に来たのに気づかず読んでいる」「休み時間はひたすらマンガを読んでいる(他の遊びをしたり、コミュニケーションをとったりしない)」……エトセトラ。あるいは、親から「学校はマンガを読むことを推奨でもしているのか」というような苦情もあり得るでしょう。
 学校での問題に関して言えば、私はこういう風にすればいいのではないかと思っています(ただし、ある程度以上秩序がもともと保たれていた場合において。もともと非常に状態が悪い学校の場合は、そもそもマンガを置くかどうかについて判断が分かれると思います。個人的には、そういう学校にこそ置くべきだとも思いますが)。
 まず、生徒との双方向的対話によって、最低限守るべきルールを設定する。この時、教師が一方的にルールを押し付けてはならず、必ず生徒との対話で綱引きがなされるべき。逆に、生徒の言うルールを無条件に教師側が受け入れることも好ましいことではなく、わりと生徒側があっさり教師側の出しそうな線を受け入れるようなら、もうちょっとハードルの高いルールを教師側から持ち出してもいいかも(なんにせよ双方向的コミュニケーションがなされることが重要)。
 こうやって設定したルールの内容を、紙に書いて貼る。できれば生徒に書いてもらえればさらによい。
 ルール違反については、即時対応のものと、少し注意喚起を促す余裕を持たせるものに分ける。例えば、「先生が授業で教室に入って来て教卓の前に来るまでに、マンガを読むのはやめる。その時点で読んでいたらマンガは没収」などのルールは即時対応で、容赦なしとするべきだと思われます。一方で、本棚の整理だとか、一時的紛失などの問題は、3度くらい、だんだんと注意・警告の程度を高くしながら、最後は「すべてのマンガを撤収させる」などの対処をする。実際のところ、一度くらいは「すべてのマンガを撤収」をすることになった方がよいと思います。その方が生徒達に「自分で自分を律する」ことの重要性を身に染みてわからせることができると思います。ただし、身に染みるためには、それらの本を読みたくてたまらない、という前提が必要です。どうでもいい本(マンガ)なら、生徒は別に痛痒を感じないでしょう。総合的な学習の時間で、生徒がやりたいことをテーマとして設定しなければ、それがちゃんとできなくても生徒が痛痒を感じないのと一緒です。
 また、これらの罰則を実行する際に怒りながらすべきではなく、むしろ温かみを持ちながら「残念だ」という感じで実行すべきでしょう。そうしなければ、生徒には「結局自分の行為が結果を左右するのであって、自分がどうするかにかかっているのだ」という事が分かりませんから。

 「他の遊びをしない」や「コミュニケーションをとろうとしない」という問題の場合は難しいものがあるでしょうが、この問題に関してコメントしようとすると本稿の扱う範囲をはるかに越える分野まで言及しなくてはいけなくなるので、パスすることにします。

 親からの苦情に関しては、私は良い機会だと思います。親と話し合えばいいのです。「こちらはマンガを置くことにこういう意義があると思っている。また、生じるであろう問題にはこういう風に対処しようと考えている。」とこちらの意を伝え、親の言い分を聞く。どういう点に齟齬があり、どういう点に誤解があり、どういう点は妥協でき、どういう点は妥協できないのか、明らかにする。妥協点が話し合えたら、それを実行する。親と話し合った結果、「すべてのマンガを撤去する」という事になれば、それはそれでいいと思います。ダメなのは、意見を聞かなかったり、意見を丸呑みしたり、あるいは苦情が出ることを恐れて最初から行動に規制をかける、といった行為でしょう。
 あ、もちろん、実際にマンガを置く前に「マンガを置きたいと思っていますが、どうでしょう?」と親に聞くことは良いことでしょう。というか、そうすべきですね。
 あるいは、親御さんに「なにか良いマンガ(あるいは小説、雑誌なども)があれば、教えて下さい(あるいは、貸してください)」と聞けばよいのです。親御さん提供の「○○文庫」が設置してあっても良いのではないでしょうか。むしろ、「○○文庫」の効用は、「そこからコミュニケーションが広がる」という点に求められるべきなのでしょうから。




 実際においたマンガ

 選択の基準は、歴史・地理・公民に関係するもの(韓国旅行の実際についてわりと詳しく載っていたのであるコミックスの9巻だけを置いたりしたこともあります)。それから、「深く人生に資する」と思われるもの。例えば「自分から仕事を取りに行く」という事に関して示唆的だなぁと思ったコミックスを、全然社会科とは関係ないのですが置いたりしました。もっとも、それを生徒が汲み取ったかというと、そういうことは全然ないようでしたが……。


 歴史もの。ただし、最初からその中学校には、横山光輝の『三国志』が置かれており、ボロボロな状態まで読まれていました。のちに私は同氏の『項羽と劉邦』も置いたのですが、これはほとんど生徒に読まれず(ショック……)。以下は、私が置いた中で良く読まれたものから。



■『お〜い! 竜馬』(武田鉄矢・小山ゆう 小学館)
 置いてすぐに男子が争うように読んでいました。女子は長らく読んでいなかったのですが、ある時一人の女子が読んで「これ面白いよ」と言っていたことがきっかけで女子の間でも読まれ、その後はずーっと生徒が坂本竜馬の話ばかりしてくるという状態が続きました。とにかく坂本竜馬はすごい、武市半平太や山内容堂はキライだ、とかとか。「板垣退助は自由民権運動とか偉そうなことを言ってるけど、若い頃はひどかったじゃないですか。どういうことですか」「いや、あれは史実じゃないんだ。史実でないことも書かれているから気をつけなきゃならない」とか、不平等条約改正の陸奥宗光や三菱財閥の岩崎称太郎などの話を授業中に持ち出す時にも役に立ちました。


■『ベルサイユのばら』(池田理代子 中央公論社)
 宝塚歌劇にもなった有名なフランス革命を舞台としたマンガです。いや、名作としかいいようがありません。生徒たちもどっぷりとハマっていました。


■『風光る』(渡辺多恵子 小学館)
 新撰組に女の子が入隊して……というような話。生徒たちの人気は沖田総司と斎藤一に集中。


■『風雲児たち』(みなもと太郎 潮出版/リイド出版)
 幕末を描くために関ヶ原から描き始め、江戸中期から延々と30巻以上続く作品。女子には「絵が好きでない」と読まれませんでしたが、男子の中で好きな子たちはもくもくと読んでいました。


■『日露戦争物語』(江川達也 小学館)
 話の内容よりは表現の面白さにひかれて読んだ生徒が多かったようですが、日露戦争や大津事件の導入には大変役立ちました。また、「自分は何をやりたいのか、まだ分からないけど、誰にも負けたくない」というのぼさん(正岡子規)の姿を「これ、私といっしょだ」と言っていた生徒などもいて、感慨深いものがありました。


■『八犬伝』(碧也ぴんく 角川書店)
 江戸時代、滝川馬琴が書いた長編小説『南総里見八犬伝』をマンガ化したもの。ほぼ原作どおりで、舞台となった室町時代に関しても詳しい説明があります。もっとも、生徒はストーリーが面白かったので読んでいた模様で、「滝沢馬琴」という名前を覚えるほどではありませんでした。


■『天は赤い河のほとり』(篠原千絵 小学館)
 古代オリエントのヒッタイト帝国を舞台の中心とした作品。ネフェルティティやラムセス2世などの有名人もうまく史実を援用した形で出てきて、何より話が面白いので非常に人気がありました。読むのはほぼ女子限定ではありますが、古代オリエントに興味を持たせるよいきっかけになります。


■『るろうに剣心』(和月伸宏 集英社)
 幕末に「人斬り」と呼ばれた有名な人物は3人いましたが、架空の「人斬り」を主人公として幕末より後の時代を描く。史実はそれほど関係ない話なのですが、とにかく中学生の年代には大人気のマンガ。中でも元新撰組の斎藤一は大人気でした。


■『封神演義』(藤崎竜 集英社)
 古代中国の殷王朝から周王朝への変わり目(殷周革命)の時代に活躍?した紂王、妲己、太公望、周公旦などが出てくるSF的な話。このマンガは非常に好みが分かれる作品なのですが、好きな人は大好きになる作品だと言えます。


■『お伽話を語ろう』シリーズ(柳原望 白泉社)
 戦国時代の戦乱に翻弄される若殿と婚約者の話。この作品のすごいところは、ほんわかしたノリなのに、人生(それも戦国時代)は甘くないということをこれでもかと分からせてくれるところにあると言えます。


■『なんて素敵にジャパネスク』『ざ・ちぇんじ!』(山内直美 白泉社)
 氷室冴子の同名の小説のマンガ版。平安時代を舞台にした話で、後者は実際に平安時代に書かれた『とりかへばや物語』を原作にしている。平安時代の結婚の風習などを知るにはいいと思われますが、習俗に関しては全然絵が反映されていないので注意が必要です。真っ白いおたふく顔が好まれ、眉毛は剃り、お歯黒を塗り、非常に不健康で暗いところで暮らし風呂にもほとんど入らなかったとか、云々。そういう点に関しては、『堤中納言物語』(マンガが文庫されています)の「虫めづる姫君」などの方が参考になります。


■『枕草子』『かげろう日記』『更級日記』『徒然草』
 NHKでこれらの作品がアニメ化されたことがあるようで、それのマンガ版。他に『源氏物語』もあるのですが、どうも絵的に面白そうでなく、私は敬遠しました。しかしこれらの4作品は非常に面白い出来に仕上がっており、私はそれらの原作本のファンにもなってしまったほどです。が、生徒はあまり読んでいたフシなし……。ほかに岸田恋さんの『源氏物語』や、『まろ、ん?』という源氏物語の4コマ本も置いていたのですが、ほとんど読まれなかったようです。自主的に読むには厳しいものがあるんでしょうか。国語の課題として読ませれば、好きになってくれるのではないかとも思うのですが。
 あと、江川達也さん(この人は教師経験があります)の『源氏物語』も買ってみたのですが、見てみたらあまりの内容の危なさに「これはとても文庫には置けない」と、断念しました。


■『はいからさんが通る』(大和和紀 講談社)
 大正時代を舞台にした作品。当時の女性の置かれた立場や、文化、シベリア出兵などが描かれています。


■『ヒカルの碁』(ほったゆみ 集英社)
 藤原佐為という平安時代の碁の棋士が出てきますが、それよりも小中学生の間で爆発的な碁ブームを生み出したことで有名な作品です。作品としても極めて面白く、また「本気になる」とはどういうことか、というような点でも示唆的な作品だと言えます。


 歴史ものとしては他に、里中満智子さんの奈良時代ものや、池田理代子さんのヨーロッパものも大量に置いていたのですが、なんか全然読まれなかったような……。『クレオパトラ』などの単作は結構読まれていたようです。





 病院関係の本

 別に病院に特に興味があるわけではないのですが、病院関係の本もいくつか置いていました。もともと学校では横山光輝と手塚治虫は許容されていたようで、手塚治虫の『ブラックジャック』を置いてみたところ好評で、その後教育評論家の斎藤孝氏が『おたんこナース』を推奨していたことからこれを買って置いていたところこれも好評(私はそれほどすぐれている作品だとはあまり思いませんでしたが……)。
 のちに、『ブラックジャックによろしく』という作品を新聞書評で知り、買って読んでみたところこれはすごい作品で、生徒や他の教師の間でも争って読まれていました。


 クラブ関係の本

 その中学校は男女ともソフトテニス部でしたので、テニス関係のマンガとして『テニスの王子様』、『しゃにむにGO!』、『エースをねらえ』を置いていました。これらも先を争って読まれる状態でした。
 深く人生に資する本

 紫堂恭子さん(この人は教師出身です)の『グラン・ローヴァ物語』や『辺境警備』(ファンタジー世界が舞台)などの作品は深く人生に資すると思って置いたのですが、評判のほどは分かりません。


 他に、差別問題に関して『エイリアン通り』という本を置いたりしました(イギリス人によるアラブ人差別の話が出てくる)。





・雑誌を置くことのススメ

 もともと○○文庫に雑誌を置くつもりはなかった(テニス関連雑誌は例外として)のですが、最近になって「むしろ雑誌こそを置くべきではないのか」というようなことも考えるに到りました。
 それは、北朝鮮問題に発します。
 たまたま担任したクラスの生徒達が非常に北朝鮮問題に興味がありまして(他のクラスでももちろん興味は高いのですが、特に)、社会科の時間にはちょっとしたきっかけがあれば北朝鮮の話になり、授業そっちのけで根掘り葉掘り聞いてきます。私自身ももともとそういう社会科系統の問題には興味があるわけで新聞・雑誌でチェックしていましたが、生徒が聞いてくることもあり、今まで読んだことがなかった雑誌なども買って来て情報を仕入れるようになりました。
 生徒の中に特に関心を持っている女生徒がいて、ふと読み終わった北朝鮮問題が特集されている雑誌を「これ持っていってやったら見るかな?」と思い、朝その生徒に雑誌の表紙を見せて「いる?」と聞いてみるとものすごーく嬉しそうな顔をしてうんうんと首を縦に振り、自分の机に行ってその後ずっと舐めるように見ている。朝の会の話も聞かずに読んでました。
 その後数冊、北朝鮮関連の記事の載っている雑誌をその生徒に渡してやりましたが、そのたびごとに嬉しそうにして、くいいるように見ています。また、他の生徒もそれらの雑誌を見て感想などを話していました。
 私が買ったのは別に子ども向けの雑誌ではなく、『NEWS WEEK 日本語版』や『SAPIO』などの、大人向けの政治・経済誌ですので、生徒がどれほど読めているかはわかりません。そういえば私も中学生のころに新書サイズのカッパ・ビジネスシリーズという政治・経済系の本で国際政治の本を買って来て、今から思えばわけも分からないのに結構わくわくして読んでいたものですが、そういうものかもしれません。中学生のころに読んだそういう本は、さすがに意味はほとんど分かってなかったと思いますが、高校生になる頃にはもっとそういう本を多く買うようになり、意味もだいぶ分かってくるようになっていましたから、「意味がわからないからムダ」というわけではないということでしょう(もちろん、「レディネス」という概念に対して「発達の最近接領域」という概念があるわけですが)。

 北朝鮮問題にとどまらず、9・11テロやイラク攻撃、あるいは不景気の問題や日本の政局、ロボット、西ナイル病、地球にぶつかるかもしれないという隕石など、さまざまなその時々のニュース、話題について、生徒たちは興味を持っています。しかしもちろん学校図書館にはそれらの資料などあるはずはなく、インターネットで見るくらいが学校でできる最も優れた情報収集の手段ということになります(しかしインターネットはあまりに玉石混交であり過ぎて、わけがわからなくなるニュースソースです)。
 それに対して、雑誌を置けば、1、2週遅れにはなるものの、テレビで見る程度とはまた違った視点の情報を入手することができる。これこそ、「彼らが切実に知りたい」情報を提供する道ではないかと思ったわけです。
 「本を読む」という行為を考えた時、「知りたくて知りたくてしょうがないこと」を本で読むことによって満足させようとすることが、かなり価値のあることだとすれば、雑誌を置くことにも大きな価値が置かれ得るのではないかと思います。


 雑誌に関して言えば、次のようなこともありました。授業中に何かの話題がきっかけで、「プログラム言語のC++などを覚えれば、コンピューターの世界で食っていけるよ」というような事を言ったところ、男子生徒からの反応がものすごく、「それってどういうものなのか」「どうしたら覚えられるのか」「どういうことができるのか」とすごく熱心に聞かれました。そういうことから、プログラミング言語を選択の時間にやってみようと思い、C++は多分非常に難しいので、簡単だと思われるVisual Basicの本を探して買ってきて、同時に『Basicマガジン』という雑誌に簡単なプログラムや記事が載っているので、それを買って来て提供していました。
 ある一人の生徒などは『Basicマガジン』でできそうなVisual Basicのプログラムを全部打ち込んでみる(放課後に)ほど熱心にやっており、卒業の時には「これからは『Basicマガジン』を自分で買う」というような事を言っていました。
 その後、『Cマガジン』というC++関係の雑誌を買ってみると、どうもJAVAというプログラム言語をやるのが一番良さそうだということで、この雑誌を借りて帰った生徒はその後JAVAを勉強するつもりだ、と言っています。


 また、本屋に生徒を連れて行った時、釣りの好きな生徒が釣りの雑誌を買って欲しい、と言ってきたことがありました。雑誌は除く、という風に言っていたのでその時は許可しなかったのですが、その後「買った方が良かったのかもしれない」とも考えるようになりました。
 というのは、その生徒はもともとあまり本を読まないタイプであるし、親に本屋に連れて行ってもらえる(もらおうとする)機会もあまり多くなさそうです。それに、釣りは好きで、日曜日には朝早くやっている釣り番組が見たくて勝手に目がさめるそうだし、その一方で学校の勉強はそれほど得意ではない。
 だとすると、すぐに釣りのできる環境にいて、釣りに興味を持っているなら、釣り関係の仕事で生計を将来立てるということも充分考えるべきだろうし、それならば早いうちから釣りの雑誌なども読んでいる方がいいに決まっている。それに、私自身が過去にある雑誌から寄稿を頼まれたことから考えると、編集者から「こんな人がいる(この分野について詳しい人がいる)」と認知されることは、その世界で生きるのに非常にためになることだと思われます。ですから、雑誌を買って感想や要望を書いて送ったり、自分の釣りに関して写真や工夫の記事を送ったりということは、非常に自分のためにもなることだと思われる。また、これら自分から積極的に何かをやるという経験は、釣りの世界だけに限らず、これからの自分たちの「生きる力」の上でも大変ためになることでしょう。

 その中学校のように、生徒のうちに何人かは必ず釣りを好む者がいる、という学校では、そもそも学校図書館の予算で釣りの雑誌を買えるようにしてストックしておくのも手かもしれません(プログラム言語の本なども同様です)。もっとも本来的には、そういう雑誌は子どもが自分の小遣いから出して買い(だからこそ大切にするでしょうし)、また友達の間でまわし読みをしたりして交友を広げるのに役立つものでしょう。あるいは、親に買ってもらうということで、親とのコミュニケーションの一助になるということも期待される。
 ただ、その中学校の生徒の場合、前述のように「本屋に気軽に行けない」という事情があるので、「学校で釣り雑誌を揃えた方がいいだろうか?」という問いにつながりやすいという事情があります。しかしその中学校の場合でも、これは微妙な問題でしょう。他の学校ではもっと、「子どもが自分で買えばよい」という事になると思いますが、そういう「雑誌を読むことが子どもたちのためになる」ということの喚起になれば幸いです。








・小説を置くことのススメ

 本来は、小説(とくに文庫サイズの)を置くことも勧められるべきだと思うのですが、個人的事情によりパスします。

 私自身は中学〜高校生の時に猛烈に、恐らく500冊以上は文庫サイズの小説(SF小説ばかりでしたが)を読んだのですが、その後小説をほとんど読まなくなってしまいました。
 また、現在少し読んでいる歴史小説(司馬遼太郎など)を置いたり、最近の中学生が読みそうな小説本を少し置いたりもしてみましたが、その中学校ではほとんど読まれなかったようです。ただしこれは当然、学校(生徒)個々によって違うと思います。

 小説としてお奨めできそうなものとして私が知っているのは、『銀河英雄伝説』(田中芳樹)、『なんて素敵にジャパネスク』(氷室冴子)、あるいは三国志の小説本などでしょうか。『銀河英雄伝説』などは一世を風靡した小説ですが、いかんせん古い時代の話ですので、もし置くのならば、教師側のリサーチなども重要でしょう。

 私自身、中学生のころは小説好きの友達と一緒に、マンガ好きの友達と「小説とマンガとどっちがすぐれているか」と言い争って小説側を支持していた方ですし、人数が多くなれば当然、小説好きの生徒もいくらかいると思います。
 ただ、もちろん生徒の読みたがる本と、置かれる本がある程度以上一致することが必要なので、そういう点でのすり合わせは必要だと思います。







・DVDを置くことのススメ

 公立図書館の中にはビデオが置いてあったりしますが、そういう映像・音楽などの提供も学校図書館や○○文庫の役割に当然加えていいと思います。

 私の場合は、歴史映画のDVDを買って置いていました。具体的には、

 『リトル・ブッダ』(釈迦の逸話が挿入される映画なので)
 『グラディエーター』(ローマ帝国)
 『ブレイブ・ハート』(スコットランド独立闘争)
 『戦争と平和』(同名のトルストイの小説の映画。ソ連版)
 『ラスト・オブ・モヒカン』(ネイティブ・アメリカン)
 『グローリー』(南北戦争での黒人部隊の話)
 『奇跡の人』(ヘレン・ケラーとサリバン先生の話)
 『酔拳2』(列強に侵食される清の時代が舞台)
 『王様と私』(帝国主義の時代、タイ王国に赴任したイギリス人家庭教師の話)
 『トラ!トラ!トラ!』(真珠湾攻撃を扱った日米合作映画)
 『パールハーバー』(真珠湾攻撃を扱った映画)
 『プライベート・ライアン』(ノルマンディー上陸作戦での悲惨な戦闘が描かれる)
 『ほたるの墓』(太平洋戦争末期の兄妹)
 『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(中国のチベット侵攻が描かれる)
 『アポロ13』(アメリカの宇宙開発の歴史)


 などを置いていました。他に『日本の祭』『世界遺産』『エルサレム』のDVDなども置いていましたが、あまり意味がなかった……。生徒の一部は『パールハーバー』を持って帰って、自分の家のプレイステーション2で見ていたようです。

 『リトル・ブッダ』『奇跡の人』『酔拳2』『王様と私』『パールハーバー』『プライベート・ライアン』などは授業で一部を見ました。

 歴史ものでは他に『シンドラーのリスト』(ユダヤ人問題:未DVD化)や『エビータ』(アルゼンチン大統領夫人を主人公にしたミュージカル風映画)、『コロンブス:1492』、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』『二百三高地』(この映画の主人公は金沢出身という設定で、「だら」という言葉なども出てきます)などもよいと思います。

 また、歴史にこだわらず、良い映画は置いてもよいのではないかと思います。感動ものの映画や、『千と千尋の神隠し』『ハリー・ポッター』などでもよいでしょう(もっとも、学校の規模によっては、そういうヒット作まで置くと、レンタルビデオ店の収益を圧迫するようなことになり、問題になるかもしれませんが)。







・ゲームを置くことのススメ

 歴史への興味、ということでいえば、ゲームを置いてしまうのも良い手になると思われます。具体的には、コーエーの『三国志』『信長の野望』『大航海時代』『蒼き狼と白き牝鹿』の、プレイステーション用のソフト(1500円程度)や、パソコン用のソフトなど。私の知り合いの中には、それらの歴史上のことは全然知らなかったけども、ゲームをやってみてその歴史にハマった、という人も数多くいます。
 実際に私は『信長の野望』『大航海時代』のソフトを置いてみたところ、数人がやってみていました。ただ、ハマるというほどではなかったようです。



・CDを置くことのススメ

 CDも置いていました。もっとも、歌謡曲のたぐいではなく、買い集めたクラシックのCDです。大学時代に出ていた『グレート・コンポーザー』というCD付き冊子の50枚ほどのクラシックCDと、その他に買い集めたクラシックCDです。音楽の授業で使われていたり、あるいはクラシックの曲に興味のある生徒が借りて帰って聴いたり、休み時間中に教室にあるCDデッキで聴いたりしていました。

 他に民族音楽やサウンドトラック、あるいはエンヤなどのCDなら置いてよいのではないでしょうか。








・生徒に本を選ばせることのススメ

 学校図書館の係となって、学校図書を購入する段になって考えたことはこうでした。「学校図書館用の本としてお薦めの本のリストなどがあるにはあるが、この中からなるべく生徒が読みそうな本を教師側が選んだとしても、本当に読まれるかどうかは分からない。それよりも、生徒自身が「読みたい」という本をこそ選びたい。そのためには、生徒自身を本屋に連れて行って、選ばせるのが一番良いのではないか。」

 この時、「大人が読ませたい本」と「子どもが読みたい本」とは合致しないではないか、「子どもが読みたい本」は多くの場合、低劣なものに堕してしまう、という意見があると思います。
 私自身はひたすら自分が読みたい本をこそ数千冊読んできて、読みたくない本を読まされる苦痛を味わいたくなどない、と個人的には思っている人間ですが、一方で本を手に取るつもりなどまったくなく、「読んでみなさい」と強制されなければ読まないで、しかし読んでみたら「けっこう良かった」「本が好きになった」ということも世の中にはままある、ということも理解はしています。
 しかしそういう手法は、そういう手法によって良い経験をしたことのある人こそがうまくやることができる方法でしょう。私はそういう経験がなかったので、「読みたい本こそを読め」という手法で行くことにしました。

 校長先生に可否を聞いたところ、他の先生らと保護者の了解を取れ、ということでしたので、消極的了解を取り付け、生徒には「学校図書館の本を君らに選んでもらいたいから、土曜か日曜に時間を指定して、街の本屋まで車でのっけていく。行きたい人は手を挙げてくれ。」という風に言いました。
 本屋さんにもあらかじめ了解を取りました。その時聞いたところによると、街の中心の高校と小学校も、生徒が学校図書館の新規購入分の本を選んでいる、ということでした。

 結局都合3回、のべ7、8人程度の生徒を連れて本屋に行きました。いちおうマンガ、雑誌、その他公序良俗に反する本は禁止、ということで選ばせましたが、私が期待していたほどには、生徒たちが次々に本を選ぶ、という状況にはなりませんでした。

 生徒自身が選んだ本としては、ディスカバー21の、自分を励ます名言、一行詩の本(『悪魔のささやき 天使のはげまし』、『I MISS YOU...』)。同じような傾向で「わたしらしい恋を育てる50の言葉」という副題のついた『ときどき、せつない』という本。
 それから、『つねに強気で生きる方法』などのセルフコントロールの本や、『伊東家の食卓』『サタ★スマ』などのテレビ番組関連の本。ボクシングや手相占いの入門本。『社会人ことば見習いBOOK』『3D写真で目がどんどん良くなる本【動物編】』など。それから、マンガはダメと言っていたのですが、まあしょうがないと認めた日本史や中国史をマンガで解説したもの。
 中にはこの時『人生の価値』というハードカバーの本を選んで、それで読書感想文を書き、コンクールで県代表まで行った生徒もいました。もっともこの生徒は、小学校の時に読書感想文で文部大臣賞をもらったこともあるという生徒ですので、「読みたい本を買う」ということでいきなりすごい結果が出たのではないことをお断りしておきます。
 また、本屋には行かなかった生徒の中に、「松本人志の本買って来て」と言っていた生徒がいたので、松本人志の『松本裁判』『哲学(島田紳助との共著)』も買って来ました。
 これら、生徒が選んだ本は実際に良く読まれていました。

 また他に、香取慎吾の英語の本『ベラベラブック』を見つけた生徒は、「これは他の人に読ませたくない! 自分で買って自分だけで勉強する」と言い張って、自分で買っていたことを付け加えておきます。


 ところがこれらだけでは予算を消化するに到らず、そこで私は生徒が読みそうかなと思える小説本や映画のガイドブックなどを選んだのですが、やはり?失敗で、結局それらは読まれず、ムダな買い物であったようです。ただ、一流スポーツ選手の小中学生向けの伝記本の『素顔の勇者たち』というシリーズを見つけ、生徒に「この中で名前の知っている人のやつを選べ」と、イチロー、中村俊輔、高橋尚子などの本を選んで買って帰ったものは、その後熱心に読んでいる生徒がいてムダにならずにすみました。

 また、その後、ある生徒が賞をとって図書券を副賞としてもらい、これを学校図書館費として本を購入するように言われたので、賞をとった生徒(この生徒は前述の本屋には行かなかった生徒でした)にどんな本がいいか聞いたところ、「さくらももこの(マンガでない)本がいい」という事でしたので、それらを買って来て置いておいたところ、その生徒はもちろん喜んで読んでいましたし、他の生徒も読んでいました。


 結果として、生徒が選んだ本は低劣なものだったのかというと、どうでしょう。私が期待したほど高尚なものではなかったとは思います。意外だったのは、小説を選ぶ生徒がまったくいなかったことです。もちろんたまたまということもあると思いますが。
 名言集や『人生の価値』という本は、大人側の期待ということで言えばよかったと思いますが、一方で出来すぎという気もします。
 私が「なるほど」と思ったのは、テレビ番組関連の本を女子が選ぶ割合が高く、男子はセルフコントロール関係の本やボクシング、あるいは歴史関係の入門本を選ぶ割合が高かったことです。これらの本を「買っていいですか?」と生徒に聞かれた時、私は迷ったのですが、まあともかくOKということにしました。これらの本の選ばれ方から考えられるのは、「実利重視?」ということかなと私は思いました。大人は「ためになる物語(フィクション、あるいはノンフィクション)」か、あるいは科学や社会関係の資料になるような本を与えたがる傾向があると思いますが、子どもはわりあい実利重視で本を選んでいる。

 私が教育問題関係の本を読んでいて良く見るのが、「時代が変わって社会は以前と違うものになってしまったのに、学校は以前の価値を引きずり続け、もっとひどいことにはそれを維持・強化しようとしている。そのため、学校はノスタルジック(懐古的)でアンリアル(虚偽)な価値観を子ども達に強要する場になってしまい、子ども達はそのことにうんざりしている。子ども達が求めているのは、現在から未来につながるリアルな(実際に使える)知識である」というようなことです。生徒たちに本を選ばせた時に、このことがはっきりと見えてきたとも言えるかもしれません。








 生徒の前で普段から本を読んでいることのススメ

 「普段から生徒の前で手本となる行動を」ということが言われ、「本を読む」ということに関しても同じことが言われることがあるようです。私はそれらの言葉を別に意識していたわけではなかったのですが、「ああ、なるほど、効果があるのだな」と思うことがありました。
 私はやや早めに学校に着きます。そこで、職朝前の15分くらいを、担任学級に行って本を読んでいます。用がなければ生徒とも何もしゃべらずに黙々と本を読んでいますが、たいてい生徒がなにがしか話しかけてきますし、あるいは生徒同士で何か盛り上がっていればそれを見ていたりもします。
 で、私が本を読んでいるのを見ていたある生徒が興味を持ってきました。「先生っていつもこんな本読んでいるんですか」「今まで何冊くらい読んだんですか」「すごいなぁ。おれなんて今まで一冊もこんな本読んだことないよ。ねむたあなってくる」「やっぱりこういう本を読まなだめですか」というような事を言ってくるわけです。私は「好きやから読んどるだけで、別に読まなだめってことないよ。好きなことが書いてあればどんどん読むし、興味ない本やったらおれかて読まへんって。君も、好きな本があれば読むやろうし、読まなあかんかなんて気にする必要ないって」と言っていたのですが、ある時などは「ちょっと横で、どんな風に読んでるのか見せてください」と言って、4、5分ほどもずっと私が本を読んで線を引いているのを私の後ろから肩越しに見ていました。
 その後その生徒はいくらか中学生向けの本を読んで「おっ、今これ読んでるん?」と聞くと「ああ、それ結構面白いんですよ」と言っていました。

 まあこの、前後の因果関係のほどはどれほどか分からない(それ以前から読んでいたのかもしれませんので)のですが、生徒に何がしかの感慨を与えたことは確かであったようです。