【最期の言葉】ナポレオン麾下



 ナポレオンの部下か、それに近い人達の最期の言葉。


フランソワ・マルソー(フランスの将軍)
1796年。アルテンキンヒェンの近くで重傷を負い、ジュールダン将軍に向かって、
「将軍、どうして涙など流すのです? 私は、国の為に死ぬのが、嬉しいんです。」

ラザール・オッシュ(フランスの将軍)
1797年。彼を取り囲んでいた将軍たちに、
「さようなら、君たち、さようなら……。ベルギーから目を離すなと政府に言ってくれ。さようなら……。」

ジャン=エティエンヌ・シャンピオネ(フランスの将軍)
1800年。伝染病の流行で死んだ。
「どうか、私の母を慰める様に気を配ってもらいたい。私は、どうしてジュベールの様に死ぬ事が出来なかったのだろう!」(ジュベール将軍は数ヶ月前、ノヴィで心臓に弾丸を受けて戦死していた)

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゥゼー・ド・ヴェグー(フランスの将軍)
1800年6月14日、マレンゴの戦いを勝利に導いて戦死した。この人の事に就いては別ページにして詳しく触れる。

ジャン・バティスト・クレベール(フランスの将軍)
1800年6月14日。ナポレオン帰還後のエジプト総司令官であったが、カイロでソレマンによって刺殺された。
「やられた!」

テオフィル・コレ・ド・ラ・トゥール・ドーベルニュ(フランスの兵士)
「共和国軍隊の最高の擲弾兵」という称号を贈られた人物。1800年、オベルハウゼンで重傷を負って、
「死んでも本望だ。私は、いつもこのような最後を遂げたいと思っていたのだ。」

ジャン・ランヌ(フランスの元帥)
1809年、エスリンクの戦いで負傷し、死亡。この人に就いても別ページ

ユーゼフ・ポニアトフスキ(ポーランドの将軍・フランス元帥)
1813年、ライプツィヒの戦いで捕虜にされぬ様、馬に乗ったまま、増水中のエルスター川に飛び込んだ。
「神は、私にポーランド人の名誉を託された。それは、神にのみ、お返ししよう。」

ジョゼフィーヌ(ナポレオンの皇后)
1814年。「ナポレオン……」

シャルル・ド・ラベドワイエール(フランスの将軍)
1815年、ナポレオンに忠節をつくした為に銃殺された。胸を開いて言った。
「良く狙って撃て!」

ヨアキム・ミュラ(フランスの元帥・ナポリ王)
1815年、王国の失地回復を狙ったが捕らえられ、銃殺された。
「兵士諸君、君たちの義務を守って心臓を狙え! だが、顔は避けてくれ。」

ミシェル・ネイ(フランスの元帥)
1815年、銃殺刑。別ページ

ナポレオン・ボナパルト(フランス皇帝)
1821年。「フランス……軍隊……ジョセフィーヌ……」

ポーリーヌ・ボナパルト(ナポレオン1世の二番目の妹。美人の誉れが高かった)
1825年。鏡を持って来させて言った。
「いつ死んでもいい。いつも美しかったのだもの!」