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ソクラテス


 “哲学者”と言えば、ソクラテスの名がまず挙がるようです。というのは、私が大学生の頃、「学部・学科はなに?」と聞かれ、私が「哲学科です」と答えると、「ああ、哲学って、ソクラテスとかの?」という風に言われた事が、何回かあった様に記憶しているからです。

 ところが私は、哲学科に在籍していながら、当時ソクラテスという人物を全然知りませんでした。ですから思ったものです。「うわー。そういう哲学者の名前を知ってるなんて、みんな頭いいなぁ」

 まあそれはともかく(^^;。

 ソクラテスはどんな人だったのか……について書けば、まず、「ぶおとこ」。ハナが低くて上を向いており、唇は厚く、眼はギョロ眼。頭ははげあがっていて、でっぷりとしたからだつき。さらに言えば、顔つきが広くて平べったく、サカナのエイに似ていたそうです。しかも服は一着しか持っておらず、それを着てはだしで、アヒルの様な歩き方で歩き回ってそこらにいる人たちにとにかく色々と話しかけたとか。

 そんな人に話しかけられたら誰でも逃げたくなるでしょうが、ところがところが、いったんソクラテスと話してみると、彼の明るさ、親しみやすさ、ユーモアのセンス、誠実さなどが、聞く者の心を魅了して離さなかったといいます。

 メノンという人は、こう言ったそうです。
「いま、あなたは、私に魔術か妖術をかけておられます。そのために私は混乱しています。もし冗談が許されるなら、あなたは、顔つきだけでなく、ほかの点でもシビレエイにたいへん似ておいでです。あのサカナは、そばに来て触れる者をしびれさせますが、私は、魂もくちびるも、まったくしびれてしまっています。あなたに、どう答えたらよいかわかりません。」

 中でも、当時、「将来アテナイを背負って立つ人物であろう」と大いに期待されていた才能あふれる美少年アルキビアデースはソクラテスに完全に惚れ込み、なんとか気を引こうと二人きりの場を演出してみたり、食事に何度も誘ったり、無理に夜おそくまでひきとめて、ついには念願かなって一緒にベッドで寝た……とか。そこでどんな事がおこなわれたかについては良く分からないのですが、ますますアルキビアデースの恋心はつのって、「ぼくはいっそ、あの人がいなくなってしまえばいいと思う事もある。でももしそうなってしまったら、とても惨めな気持ちになるでしょう。」と、微妙で複雑な心情を告白していたとか。

 いやあ、たいした「男たらし」という感じですが、いや、そーでなく。

 人々がソクラテスに「まいってしまった」のは、人間的魅力からだけでなく、彼らの自信のあったことをうち崩し、何を求めるべきかという事について助言したからでした。

 ソクラテスの最も有名な逸話は、次のものでしょう。

 ある時、ソクラテスの友人のカイレポンという何にでも熱中する人物が、「ソクラテスはせかいいちぃぃぃぃぃぃ!」と思ったものか、神託が当たることで有名なデルフォイへ出かけていって、

「この世にソクラテス以上の智恵者がいるでしょうか?」

と、おうかがいをたてました。

 すると、巫女さんがむにゃむにゃ、えいっ。こんなん出ました、と答えるには、

 ソフォクレスは賢い。
 エウリピデスはさらに賢い。
(注:両名共に著名な悲劇詩人)
 しかし、ソクラテスは万人の中で最も賢い。

とのこと。

 おそらくカイレポンは喜び勇んでこのことをソクラテスに知らせたでしょうが、それを聞かされたソクラテスは喜ぶどころか、「おおおう」と思い悩んでしまいました。

『私が知恵者なんかでないことは、私自身が一番よーく知っている。それなのに、ああ、それなのに。神サマあんたなにゆーとんねん。』

 七転八倒して悩んでいると、フトいい考えが思いつきました。

『そうだ! 世間で知恵者として知られている人のところを訪ねていって、その人の方が私より知恵者であるという事を明らかにしよう! そうすれば、私が最も賢い知恵者なんかではない、という事が分かるだろう』

 そこでてけてけと有名な政治家さんのところへ出かけていって、色々と話をしてみたのですが、これがどうもその人は、ソクラテスが思うに知恵者っぽくない。他の「知恵者」と見られている人のところへも色々行ってみたのですが、結果は全部同じでした。

 ソクラテスはこう思ったのです。

「何が一番大事な事なのか、何が真理なのか、ということについては、私も、彼らも、ともに分かっていない。分かっていない、というのは同じである。ところが彼らは、分かったつもりでいる。しかし私は、分かっていない、という事を自覚している。とすると、私は、自分の“無知”を知っている、という点では彼らよりも知恵者であるらしい。」

「自分は真理を会得していない」という自覚……これを“無知の知”といいます(自分だけでなく、「どんな人も真理を会得出来ない」という事も含みます)。

 これと逆の在り方は、

  • 自分の考え方は完全に正しいと思う
  • ある人の考え方は完全に正しいと思う
  • ある考え方を真理だと完全に確信してそれに邁進する
  • 自分が信じている考え方に反対する考え方はとにかく排斥する
  • 優れた人と、劣った人が存在すると考える
  • 「正しい考え方」というものが存在する、と考える

などですね。これらの考え方を、プラトンという人の影響のもとにあると考え、「プラトン的な見方」と総称する事もあります。

 実は、プラトンというのはソクラテスの弟子です。ソクラテスの弟子の中でも最も有名な人ですが、ソクラテスと全く反対の考え方を主張したわけですね。

 ここ数百年、世界ではプラトン的な考え方が主流でした。しかし、20世紀に入って、「実はプラトン的な見方は現実的ではなく、ソクラテス的な見方の方があたっていたのだ」という事が分かり始めてきたのです。

 それはともかく。ソクラテスに「まいってしまった」の一件ですが、これは、ソクラテスと話していると、自分が持っていた確信ががらがらと音を立てて崩れていくのが分かったからなんですね。

 すなわち、ソクラテスと話していると、
「わたしはどこ? ここはいつ? いまはだれ??????」という状況になったんでしょうねぇ。

 しかしまあ、それだけでは単なる詭弁家に過ぎないんで、ソクラテスは「じゃあ、何が大事なの?」という事に関しても人々に助言しました。それは、

“なんじ自身を知れ”

という言葉に凝縮されています。あまりに凝縮され過ぎていて、意味が良く分かりませんが(^^;、これは、「自分が得意な事をやりなさい」とか「自分が大事だと思う事を大事にしなさい」というよーな意味です。と、いうことは、何をやってはいけないのかと言うと、「自分が得意ではないけども、世間で重要だと思われている事を頑張ってやる」とか「自分はほんとは好きじゃないんだけども、世間では大事にされているから自分も大事にする」とかの類ですね。もっともそれは、「堕落してもいいよ」という意味ではありませんので、念のため。

 ソクラテスは、

「最も大切なことは、ただ単に生きることではなくて、“善く生きる”ことである」

と言いました。

 さてさて、そういう風にしてソクラテスは、有望そうな青年を見つけては話しかけて煙に巻く……もとい、薫陶(徳によって人を感化し、教育)する、という事をやっていたわけですが、そんな中、いきなり裁判にかけられる事になってしまいました。

 罪状は「ソクラテスは青年たちを堕落させている」というもの。そんなわけはないのはもちろんなんですが、ソクラテスが既存の価値観を破壊して歩いて回っているのが、アテナイの古い考え方の人たちには腹が立ったのでしょう。

 裁判では、ソクラテスが有罪になる可能性はそれほど大きくもなかったのですが、ソクラテスが頑として自分は社会に有益な事をやっている、という自説を曲げず、「だから私は死刑になるどころか、迎賓館でごちそうされるべきである」などという事を言ってしまったため、陪審員たちから悪い印象を持たれて、きっちり「死刑」になってしまいました。。゙(ノ><)ノ

 ソクラテスの友人たちは、脱走をすすめます。が、ソクラテスは拒否。それは、

「私は自分の大事だと思う事を主張した。そしてその事をまっとうすべきである。今ここで脱走したら、私は自分の使命から逃げた事になるだろう。」

という事でした。そして、むしろ運命に従うべき事を説いたのです。自分がなすべきこともせず、悪い運命からは逃れたがる人々は、ソクラテスのこの行為を知って、恥じ入るべきでしょう。

 そして、死刑執行の日。友人たちに囲まれながら、ソクラテスは快活でした。友人たちは、ソクラテスと議論をして、時には笑い、時には涙を流しました。いよいよ夕方、用意された毒ニンジンの汁をソクラテスがいとも無造作に、平然と飲み干すと、それを見ていた友人たちは我慢出来なくなり、顔をおおって泣く人もいれば、大声をあげて泣く人もいました。ソクラテスが「なんということだ。あきれた人たちだね」とやさしくたしなめたほどです。

 毒を身体にまわすためにしばらく歩き回って、足に感覚がなくなってきたところでベッドに横になりました。腹部のあたりまで冷たくなった時、ソクラテスは、
「そうだ、アスクレピオス神にニワトリの供え物をするのを忘れていた。忘れずに供えてくれたまえ。」
と言い、友人のクリトンが
「わかった。まだほかに言うことはないか」
と問いましたが、答はなく、ソクラテスはその生涯を終えたのです。

参考文献:『ソクラテスの生き方』白石浩一 社会思想社
『ソクラテス』中野幸次 清水書院
『大科学論争』学研