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ナポレオン麾下の26元帥



[評価]の項目は、「Napoleon's Battles」(AH)というゲームに載っている将軍のレーティングです。EXCELLENTが最も良く、GOOD、AVERAGE、POORの順に悪くなります。


Kellermann ケレルマン ヴァルミー公爵 1735〜1820 1804年名誉元帥
 [出身]貴族(兵卒) [戦功他]ヴァルミーの戦い
 [性格]活動的、自惚れ、独立心強し [評価]GOOD
 [コメント]世界史上有名なヴァルミーの戦いで、歌を歌ってプロイセン軍を撤
      退させた指揮官(笑)。69歳で元老院から名誉元帥に選ばれたもの
      の、ナポレオンの元では後備兵しか指揮しなかった。しかし、息子
      のケレルマンはかなり優秀な騎兵指揮官で、マレンゴの戦いを逆転
      勝利に導いたりしている。はっきり言って息子の方が有名かもしれ
      ない(笑)。


Serurier セリュリエ 1742〜1819 1804年名誉元帥
 [出身]マジャール人との混血児といわれる(士官) [戦功他]マントヴァ攻囲
 [性格]大胆、廉直 [評価]GOOD
 [コメント]この人で何か特記事項があるとしたら、「王政復古でパージされ、
      1819年に復帰(ですぐ死んだ)」という事くらいか。ルイ16世の頃
      からの軍人という意味では、当時非常に珍しい人かも。でもまあ、
      貴族出身じゃないし。


Berthier ベルティエ ヌシャテル公爵 1753〜1815自殺 1804年元帥
 [出身]測量師(士官の庶子−士官) [戦功他]ナポレオンの参謀総長
 [性格]不決断、順応性 [評価]AVERAGE
 [コメント]映画「アウステルリッツの戦い」ではマフラーにくるまれて登場し
      ていた参謀総長。不決断故に指揮官としてはどうしようもなく無能
      だが、指揮官の決断を処理すれば無類の有能さを発揮した。1815年
      にナポレオンが帝位に復活すると、自殺してしまった。何か心にや
      ましい事があったのであろう(事故死説もあるらしい)。


Perignon ペリニョン 1754〜1818 1804年名誉元帥
 [出身]貴族(立法議会議員) [戦功他]ナポリ駐屯軍司令官
 [性格]野心家 [評価]AVERAGE
 [コメント]誰これ?(笑)


Moncey モンセー コネグリアーノ公爵 1754〜1842 1804年元帥
 [出身]弁護士(士官) [戦功他]ネー裁判に対する諫奏
 [性格]誠実、正直 [評価]GOOD
 [コメント]名前しか知らなかった(笑)。しかも戦功他が「ネイ裁判に対する
      諫奏」で、軍事的な事でないのが笑える。しかし、性格は良かった
      様ですね。


Lefebvre ルフェーブル ダンツィヒ公爵 1755〜1820 1804年名誉元帥
 [出身]製粉業、門番?(下士官) [戦功他]フリュールスの戦い、ダンツィヒ攻略
 [性格]素朴、高潔、正直、無欲 [評価]EXCELLENT
 [コメント]純情、朴訥なナポレオンのお気に入り。酒保上がりの公爵夫人は下
      町丸だしの言動で「不躾夫人」として有名であった(笑)。ナポレ
      オンがヴェストファーレン王位に就けようとした時、身分不相応を
      理由に断ったりしているのが好い。


Augereau オージュロー カスティリオーネ公爵 1757〜1816 1804年元帥
 [出身]石工、下僕(兵卒) [戦功他]ロディ、アルコーレ、アイラウの戦い
 [性格]貪欲、日和見主義者、勇猛、才知とぼし [評価]GOOD
 [コメント]「立て、立つんだ、オージュロー!」「ばけらった」というギャグ
      があった(笑)。ナポレオンの部下であったにも関わらず、ナポレ
      オンを押しのけて自分が高い地位に就こうとしたらしいが、惜しい
      かな才知が全くなかった。しかし勇敢であったのは確かで、アイラ
      ウの戦いに於いては、病気で包帯でぐるぐる巻きの状態であったに
      も関わらず、ナポレオンは彼に参加を強く要請し、その姿で彼は吹
      雪の中戦闘を指揮している。


Massena マッセナ リヴォリ公爵 1758〜1817 1804年元帥
 [出身]製革、石鹸製造、食料品店(密輸商) [戦功他]チューリヒの血戦、
 ジェノヴァ籠城 [性格]勇猛果敢 [評価]EXCELLENT
 [コメント]マッセナは有能な将軍の範疇に入るでしょうが、手癖は良くなく、
      略奪行為をやってナポレオンに叱責されたりしていた様です。昔密
      輸商をやっていた時の癖が出たのでしょう。後年、老いてぼけてし
      まったらしい。


Jourdan ジュールダン 1762〜1833 1804年元帥
 [出身]医者(小間物商) [戦功他]フリュールスの戦い
 [性格]小心 [評価]AVERAGE
 [コメント]彼は気が小さく、攻撃よりは防御に向いていたのであるが、タラヴェ
      ラの戦いでは偵察もせずに敵の有利な防御線に僅少な兵力で攻撃を
      かけたりして大敗北を喫したりしている。それを聞いたナポレオン
      は大激怒したとか。ネイ裁判ではネイを非難したりと、あまり良い
      印象を持てる人物とは言えない。元ラファイエットの部下。


Bernadotte ベルナドット ポンテ・コーリュー公爵/スウェーデン王
                         1763〜1844 1804年元帥
 [出身]弁護士(下士官) [戦功他]ウィーン大使(98)、陸相(99)
 [性格]活気に乏しく、決断力に欠ける [評価]GOOD
 [コメント]或るフランス人の評にいう、奇妙なめぐり合わせだ。ブリュメール
      のクーデターの敵でありながらナポレオンの愛顧をほしいままにし、
      イエナやアイラウやウァグラムでやられた凡庸な戦術家なのに元帥
      に昇進、共和主義者なのにスウェーデン王になるとは。
      私の先輩の評にいう、ベルナドットは、アウエルシュタットの戦い
      ではダヴー元帥の救援に駆けつけず、ダヴーを苦境に陥れたが、ダ
      ヴーは結局2倍以上の敵を撃ち破り最有能元帥の評価を手に入れる
      事になった。その意味で、彼はダヴーの名をあげる事に貢献したと
      言えよう。


Brune ブリュンヌ 1763〜1815逃亡中に私刑 1804年元帥
 [出身]法律家、詩人、印刷工(ジャーナリスト) [戦功他]ハンザ同盟の総督
 [性格]強欲 [評価]AVERAGE
 [コメント]知りません。誰ですか、これ?(笑)


Bessieres ベシエール イストリア公爵 1768〜1813戦死 1804年元帥
 [出身]外科医(医学生) [戦功他]近衛騎兵師団長
 [性格]善良、寛大、古武士的忠誠心、廉直、冷静、勇敢 [評価]EXCELLENT
 [コメント]ナポレオン麾下の元帥中、最有能指揮官3人を挙げればその中に入
      ってしまう、超優秀騎兵指揮官。普段は長髪に髪粉まで振っていた
      らしいが、騎兵突撃となると悪鬼の如く戦った。惜しいかな1813年
      のリュッツェンの戦いで戦死。
      「戦争と平和」(AH)ではベシエールとジェローム・ボナパルトの能
      力が同じである。絶対に許せない(笑)。


Mortier モルティエ トレヴィソ公爵 1768〜1835 1804年元帥
 [出身]富農、毛織物商人(学生) [戦功他]フランス国内戦役
 [性格]几帳面 [評価]GOOD
 [コメント]戦功的には大して目立つとは言えないが、背はばかでかかったらし
      い。


Ney ネイ エルヒンゲン公爵、モスクワ公爵 1769〜1815銃殺刑 1804年元帥
 [出身]樽工(士官) [戦功他]ロシア戦役
 [性格]勇敢 [評価]EXCELLENT
 [コメント]発音は「ネー」が近いらしいがそれだと間抜け。1812〜1815年にか
      けてはナポレオンに次ぐNo.2の目立ち方をする。ロシア戦役の撤退
      戦、「ナポレオンを檻に入れて来る」と豪語した事、ワーテルロー
      の戦いの一万騎の騎兵大突撃、「俺が分かるか! フランス陸軍の
      ネイ元帥だ!」の台詞などで有名。ナポレオンがセント・ヘレナに
      流されてからは第一級の戦犯者と見なされ、銃殺刑に処された。そ
      の軍師ジョミニも有名で、「ネイ元帥 ジョミニいなけりゃ 勇気
      バカ」と評される。
      岸田恋にいう、ネイ元帥の趣味はフルートである。


Murat ミュラ ベルク大公→ナポリ王 1767〜1815銃殺 1804年元帥
 [出身]宿屋の三男(神学生−兵卒) [戦功他]騎兵集団長
 [性格]短気癇癪、剛胆なるも才知を欠く [評価]EXCELLENT
 [コメント]「馬乗ってんのん、むっちゃくちゃ好っきゃねん」ミュラ(笑)。
      ほとんど馬に乗る事しか能がないのではあるが、騎兵集団を指揮すれば
      無類の強さを発揮した。基本的に単純バカなのであるが、ナポリ王
      の地位を案じて早々にナポレオンを裏切っているのが惜しい。派手
      好きな事でも有名。


Lannes ランヌ モンテベロ公爵 1769〜1809戦死 1804年元帥
 [出身]地主の四男(染工、馬丁) [戦功他]ロディの戦い
 [性格]大胆、直情径行 [評価]EXCELLENT
 [コメント]日本に「ランヌファンクラブ」という女性ファンを多く抱える団体
      まで持つ。ナポレオン麾下の元帥の中で、有能さとかっこよさを最
      も高く兼ね備えた人物と言えばこの人しかいまい。その作戦遂行の
      大胆さ、意志の強さは驚異的で、また爽やかな人物であった為、兵
      士達に「我らがロラン」と慕われた。ナポレオン麾下の元帥中、有
      能度No.2。アスペルン・エスリンクの戦いで膝を打ち抜かれ、6日
      後に死亡。
      先輩の評にいう、ランヌが死んだ後のナポレオニックは華麗さが激
      減してしまう。


Soult スールト ダルマティア公爵 1769〜1851 1804年元帥
 [出身]公証人(下士官) [戦功他]アウステルリッツ、イエナ、スペイン戦役
 [性格]戦略家、独創性を欠く [評価]EXCELLENT
 [コメント]戦略家として働き得たナポレオン麾下の元帥中の3人のうちの一人
      (他はダヴーとマッセナ。防御戦に関してはサン・シールも挙げら
      れよう)。しかし、他の大多数の勇気バカの連中からは、その冷静
      さが何を考えているのか分からない、と評判が悪かった。スペイン
      ではウェリントンを破った事もあるが、後に大敗北を喫している。
      ワーテルローの戦いでは慣れぬ参謀総長役を任され、失態を犯した。
      ナポレオン没落後もその地位は上昇を続け、大元帥の地位まで得て
      いる。


Davout ダヴー アウエルシュタット公爵 エックミュール公爵 
                         1770〜1823 1804年元帥
 [出身]小貴族(士官) [戦功他]アウエルシュタット、エックミュール、陸相
 [性格]大胆、厳格、戦略家 [評価]EXCELLENT
 [コメント]ナポレオン麾下の元帥中、有能度No.1にして26元帥中独立作戦を遂
      行し得る唯一の元帥。彼が参加した戦いで敗北に終わったものは一
      つもない。1804年に最年少で元帥になったが、ひどい近眼だった上
      に既に若禿げが相当進行しており、絶対年通りには見えなかったろ
      う。故に女性からの人気は期待出来ないが、男性からの支持は絶対
      的である(笑)。戦場では冷酷な鬼司令官、辣腕でありながら細心、
      獅子の如き勇敢さをもって戦った。冷静で口数少なく、清廉で公正、
      皇帝には忠誠無比。しかし趣味は家庭菜園と鳥のエサをやる事。ワ
      ーテルローの戦いの時には、陸相を任されていた為パリに居たが、
      もし彼が参加していればワーテルローの戦いは勝利に終わったであ
      ろう。


Victor ヴィクトール ベルノ公爵 1764〜1841 1807年元帥
 [出身]不明(兵卒) [戦功他]マレンゴ(1800)、ベレジナ(1812)
 [性格]勇気、のんき [評価]GOOD
 [コメント]本名はプランというらしいが、通称としてヴィクトールと呼ばれて
      いたのが定着したものらしい。常に軍の先頭に立つ戦いぶりは有名
      だったらしいが、政治的才能もあった。
      先輩の評にいう、そういえばタラヴェラの戦いで負けているが、相
      棒がジョセフ(・ボナパルト。ナポレオンの無能な兄(笑))では
      しょうがあるまい。


Macdonald マクドナルド タラント公爵 1765〜1840 1809年元帥
 [出身]スコットランド系亡命者の子孫(士官) [戦功他]ワグラム(1809)
 [性格]誠実 [評価]GOOD
 [コメント]関東ではマック、関西ではマクドと略す(大ウソ)。ワグラムの戦
      いに於ける戦功によって元帥となる。その忠誠心は高く評価され、
      柘植さんなどは「1814年の退位の時、ナポレオンを裏切らなかった
      ただ一人の元帥(その場にいなかった元帥を除く)」と評している
      が、私には詳しい事は分からない。誰か教えて。


Oudinot ウディノ レッジオ公爵 1767〜1849 1809年元帥
 [出身]ビール醸造業者(下士官) [戦功他]アウステルリッツ、ワグラムなど
 [性格]大胆不屈 [評価]EXCELLENT
 [コメント]革命初期の国境防衛戦にも活躍した戦士。並の戦略家であったが、
      非常に勇敢で恐れを知らない指揮官であった。1805年、ジュノーの
      代わりに擲弾予備兵の指揮官となる。1807年、ルフェーブルの代わ
      りにフリートラントで戦う。1809年、死亡したランヌ元帥の代わり
      に元帥となる。・・・・殆ど代役だったりする(笑)。


Marmont マルモン ラグサ公爵 1774〜1852 1809年元帥
 [出身]小貴族(士官) [戦功他]パリ陥落時の背反(1814)
 [性格]貪欲、虚栄心 [評価]GOOD
 [コメント]ナポレオンファンにとっての最大の裏切り者。衰えたりとはいえ、
      ナポレオン戦略の真骨頂を示した1814年のフランス戦役に於いて、
      肝心のパリを守備しながらナポレオンに何の断りもなく連合軍に降
      伏してしまった。ナポレオンは生涯この裏切りを許さなかったとい
      う。


Suchet シュシェ アルブエラ公爵 1770〜1826 1811年元帥
 [出身]絹織物商人(同) [戦功他]スペイン戦争
 [性格]均衡のとれた性格、知性徳義にあつい [評価]EXCELLENT
 [コメント]スペイン戦争での戦功により、元帥に列せられた。その公爵位から
      考えて、アルブエラの戦いで功があったのであろう(笑)。彼に就
      いて特筆すべきはその出身。父の後を継いでリヨンでシュシェ兄弟
      商会を設立していた彼は、この町の反革命暴動に遭遇して親の故郷
      に避難し、その土地で義勇軍の将校に選ばれ、その後フランス軍に
      参加していくのである。


St-Cyr サン・シール 1764〜1830 1812年元帥
 [出身]革なめし業者(画家) [戦功他]ドレスデン(1813)
 [性格]冷静、分別力 [評価]GOOD
 [コメント]防御戦の第一人者にして、ナポレオン麾下の元帥中変人度No.1(笑)。
      戦いを途中で投げ出して家に帰ってしまう癖があり、皇帝に疎まれ
      ていた。諸国民戦争の時には、あまりの連合軍の攻め立て様に、ナ
      ポレオンに泣き言を言っていた様である。


Poniatowski ポニアトフスキ 1762〜1813 1813年元帥
 [出身]ポーランドの貴族(王族) [戦功他]ライプツィヒの戦いで戦死
 [性格]剛毅 [評価]GOOD
 [コメント]詳しくは池田理代子さんの「天の涯まで」を読みませう(笑)。ポ
      ーランドの英雄。1813年、元帥府に列せられたが、ライプツィヒの
      戦いで僅か3日後に、撤退に取り残されて川を渡ろうとして溺死。
      世に言う三日元帥。しかし、お笑いで言っているのではない。ナポ
      レオニックファンは彼の剛毅さを愛しつつ、そう言う。


Grouchy グルーシー 1766〜1847 1815年元帥
 [出身]侯爵(士官) [戦功他]ワーテルローの戦いに参加し得ず
 [性格]凡庸、悲観論者 [評価]GOOD
 [コメント]ナポレオンが最後に列した元帥であったが、ワーテルローの敗因を
      作ったと言われる。フリートラントやライプツィヒで活躍したが、
      ワーテルローではナポレオンの命令を墨守したことが裏目に出た。
      人を元気づける言葉として、「ヴィーヴ・ランプルール! ウ・ヴワラ・グル
      ーシー!(皇帝陛下万歳! グルーシーが来たぞ!)」というのが
      ある(つまり空元気付けである(笑)。同傾向のものとして、人に
      無茶な事を要求する時に元気付ける、「俺が分かるか! フランス
      陸軍のネイ元帥だ!」というのがある(笑))



 26元帥は以上ですが、他に元帥として(Grande marechal
de Palaisとして)、デュロック、ベルトランが挙げられるとの事。また、実際
には元帥となって当然だったと見なされるが元帥府が出来る前に戦死していた
人物として、オッシュ、マルソー、クレベール、ドゥゼー、ピシュグリュが挙
げられています。モローはナポレオンに背反し、「売国奴」として追放されま
した。