はじめに+家系図の見方



 紀元前279年、エペイロス王ピュロスはイタリア半島に上陸し、アウスクルムの戦いでローマ軍を打ち破った。しかし勝利が採算に合わないほどの損害を受けていたため、ピュロスは最も信頼する部下キネアスをローマに送り、懐柔政策をとろうとする。
 しかし、ローマはこれを敢然と拒否。
「ピュロス軍がイタリア半島から出て行かぬうちは決して講和を結ばない」
と返答した。
 戻ってきたキネアスはピュロスにこう報告した。
「元老院というものは、まるで大勢の王の集会のように見えました。」
と。


……ローマにふさわしい唯一の才能は、世界を征服してそこに徳を君臨さすことなのだ。キネアスが、我が元老院を王者たちの集会と考えた時、彼が大いに雄弁と見たものは何だったのだろうか。キネアスは、今までに天が下に現れた最も美しい光景を見たのだ。つまりローマで命令を下し、大地を支配するにふさわしい、二百人の有徳な人々の集会なのであった。
−J・J・ルソー『学問芸術論』より、ファブリキウス・ルスキヌスの演説


 以下は昔書いた、「ローマの名門貴族をその氏族ごとに紹介していこう」という企画で、ボードゲーム『共和政ローマ』のカード番号にならって#1 コルネーリウス氏族から始まっています。

 ただし、当時参照していた資料はプルタルコスの『対比列伝(プルターク英雄伝)』程度で、その後資料も増えたのですが、とりあえずはほぼ昔のまま掲載し、だんだん増補改訂を加えていきたいと思っています。

 また、時代としては、私はマリウス以降の事に興味がないので、共和政ローマの開始(紀元前509年)から、グラックス兄弟の死(紀元前121年)までとします。

 なお、それぞれの人物について、は「彼(彼女)なくしては共和政ローマ史は語れない」、はある程度重要な人物」という程度の意味の指標です。

 あと、表記ですが、見出しの名前に関しては長母音をなるべく正しく表記しようとしています。が、「大スキピオ」などのある程度以上有名な通称は文中ではそのまま表記しました。また、地名に関しては長母音を正しく表記することは放棄しています(^_^;


 また、家系図は、現時点で私が分かっている姻戚関係を図にまとめたものです。最初の執政官就任年(あるいはそれに準ずる政務官職の就任年)を基準に、個人名の年代位置をとっています。括弧内の略号は以下の通りです(すべての官職歴を網羅しているわけではありません)。

 Cos.=Consul 執政官
 Cos.Suff.= Consul Suffectus 補欠執政官
 Aed.Cru.= Aediles Curule 上級按察官
 Mag.Eq.= Magister Equitum 騎兵隊長
 Dict.= Dictator 独裁官
 Cens.= Censor 監察官
 Tr.Mil.c.p.= Tribunus Militum Conslari Potestate 執政官権限軍事護民官
 Tr.Pl.= Tribunus Plebs 護民官
 Prin.Sen.= Princeps Senatus 元老院主席

 また、続柄について、文献で「……ではないかと考えられる。しかし確実ではない」とされているものに関しては「?」印を、文献には続柄が書いてあるのを見つけられていないが、私自身が家族名や祖父名、父名から推測したに過ぎないものには「??」印を付けてあります。



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