#2 ファビウス氏族


家系について:

 これだっ、これこそが大氏族なのだ! とも言うべき圧倒的な大貴族。共和政時代を通じての最大の氏族であり、その能力、経歴、影響力の大きさ、人物の高潔さ、元老院・平民双方からの心服において最高の家系。旧貴族(パトリキ)中の「大氏族」に属し、共和政時代の初期(前5世紀前半)には、一時ほとんど王朝に近い支配権力を持ったが、477年ローマを守るため、幼い後継者だけを残して氏族員306名、庇護民4000名からなる軍隊でエトルリア人と戦争をしてほとんど全滅し、一時歴史の表面から消え去った。しかしやがて勢力を挽回し、前4世紀中頃から次々と大物を出した。



クィーントゥス・ファビウス・アンブーストゥス
 (390護民官)
 390年、ガリア人によってエトルリアの町クルーシウムが包囲されて救援を請われた時、ローマで名声があり非常な尊敬を受けている三人のファビウス氏の人の内の一人としてクルーシウムに赴き、クルーシウムの人々の奮起を促すために一人のガリア人を一騎打ちで倒した。このためにガリア人と元老院に非難されたが、民衆はこれを賞賛し、他の二人と共に護民官に任命された。

 マールクス・ファビウス・アンブーストゥス
 (350,356,354執政官、351独裁官、元老院首席)

クィーントゥス・ファビウス・マークシムス・ルリアーヌス
 (322,310,308,297,295執政官、独裁官2回、監察官1回、元老院首席)
 上記の息子。サムニウム戦争の英雄。執政官5度(その内2度は立候補することなしに執政官に任命された)、独裁官2回など要職を歴任。295年、サムニウム人、エトルリア人、ウンブリア人、ガリア人の同盟軍をウンブリアで破った。ファビウス氏族の偉大な人々の中でも最も偉大であると、マークシムス(最大の)と呼ばれた。

 クィーントゥス・ファビウス・マークシムス・グルゲス
 (292,276執政官、監察官、元老院首席)
 上記の息子。292年には戦勝により凱旋式を挙げている。273年、ローマ最初のヘレニズム諸国への派遣使節団の団長として、エジプトのプトレマイオス王家へと派遣された。

クィーントゥス・ファビウス・マークシムス・ウェルーコースス・クーンクタートル
 (233,228,215,214,209執政官、230監察官、221,217独裁官、元老院首席)275?〜203
 上記の孫。第二次ポエニ戦争に際し、執政官等に選ばれ、ハンニバル軍と戦う。その戦術は、戦わず、挑まず、敵の消耗を待つ、であったので、はじめは遷延家(クーンクタートル)とあだ名され嘲笑される。しかしカンナエの大敗後、その戦術が再評価され、次第にカルタゴ軍を追いつめ、タレントゥムを奪回。功を立て、「ローマの楯」と言われ、その沈着、知謀は尊敬された。

 マールクス・ファビウス・ブッテオー
 (独裁官1回)
 カンナエの戦いによって元老院議員が多数戦死し、補充が必要となったのでそれを行うために独裁官に任命された。就任して元老院を補充すると、その日のうちにリクトルを解任し、権利を返上した。

クィーントゥス・ファビウス・ピクトル
 ローマで最も古い歴史家。第二次ポエニ戦争についての歴史を書いた。現存していないが、『ローマ史』を著したリーウィウスが資料として用いている。また、カンナエの戦いの後、デルフォイに使者として使わされた。

 クィーントゥス・ファビウス・マークシムス・アエミリアーヌス
 (145執政官)
 第三次マケドニア戦争の戦勝者ルーキウス・アエミリウス・パウルス・マケドニクスの長男で、小スキピオの実兄でもある。クーンクタートルのひ孫の養子となり、実父に従って第三次マケドニア戦争に参加し、スキーピオー・ナーシーカ・コルクルムと共にピュドナ戦勝のきっかけを作った。

クィーントゥス・ファビウス・マークシムス・アロブロギクス
 (121執政官、108監察官)
 アルプスの北西ロダヌス河(今のローヌ河上流)の南西部にいたアロブロゲース族を征服し、ロダヌス中流の西方にいたアルウェルニー族を破って、今の南フランス西部を、ガリア・ナルボネンシスとしてローマ領に併合した。アロブロゲース族を征服したことから、アロブロギクスの称号を得た。



 執政官表によるファビウス氏族の執政官職歴

B.C.                             _
485 クィントゥス・ファビウス・ヴィブラヌス       |
484 カエソー・ファビウス・ヴィブラヌス         |全員兄弟?
483 マルクス・ファビウス・ヴィブラヌス         」
482 クィントゥス・ファビウス・ヴィブラヌス(2回目)
481 カエソー・ファビウス・ヴィブラヌス(2回目)
480 マルクス・ファビウス・ヴィブラヌス(2回目)−−−−−−−−−−−−+
479 カエソー・ファビウス・ヴィブラヌス(3回目)/以上全員父名カエソー   |
                                               |
467 クィントゥス・ファビウス・ヴィブラヌス(父名マルクス)←−−−−−−+
465 クィントゥス・ファビウス・ヴィブラヌス(2回目)     息子?
459 クィントゥス・ファビウス・ヴィブラヌス(3回目) 
            ↓息子?
442 マルクス・ファビウス・ヴィブラヌス(父名クィントゥス)

421 グナエウス(或いはヌメリウス)・ファビウス・ヴィブラヌス

412 クィントゥス・ファビウス・アンブストゥス・ヴィブラヌス

                                    _
360 マルクス・ファビウス・アンブストゥス(父名ヌメリウス) |
358 ガイウス・ファビウス・アンブストゥス(父名ヌメリウス) 」兄弟?
356 マルクス・ファビウス・アンブストゥス(2回目)
354 マルクス・ファビウス・アンブストゥス(3回目)−−+
                                  |
345 マルクス・ファビウス・ドルスオ            |息子
                                  ↓
322 クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルリアヌス(父名マルクス)
310 クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルリアヌス(2回目)
308 クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルリアヌス(3回目)
297 クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルリアヌス(4回目)
295 クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルリアヌス(5回目)
               ↓息子
292 クィントゥス・ファビウス・マクシムス・グルゲス(父名クィントゥス)−+
276 クィントゥス・ファビウス・マクシムス・グルゲス(2回目)|     |
                               |     |
273 ガイウス・ファビウス・リキヌス(父名マルクス)     |息子?  |
                           _    |或いは  |
269 ガイウス・ファビウス・ピクトル(父名ガイウス) |   |同一?  |
266 ヌメリウス・ファビウス・ピクトル(父名ガイウス)」兄弟?|    孫|
                               ↓     |
265 クィントゥス・ファビウス・マクシムス・グルゲス(父名クィントゥス) |
                               |     |
247 ヌメリウス・ファビウス・ブテオ(父名マルクス)−+   |     |
246 マルクス・ファビウス・リキヌス(父名ガイウス) |兄弟?|息子?  |
245 マルクス・ファビウス・ブテオ(父名マルクス)−−+   |   +−+
                               ↓   ↓
233 クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ウェルコスス(父名クィントゥス)
228 クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ウェルコスス(2回目)
215補欠執政官 クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ウェルコスス(3回目)
214 クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ウェルコスス(4回目) |息子
213 クィントゥス・ファビウス・マクシムス(父名クィントゥス)−−−+
209 クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ウェルコスス(5回目) |
                                  |孫の
183 クィントゥス・ファビウス・ラベオ(父名クィントゥス)     |養子
                                  ↓
145 クィントゥス・ファビウス・マクシムス・アエミリアヌス(父名クィントゥス)
142 クィントゥス・ファビウス・マクシムス・セルウィアヌス(父名クィントゥス)
                        /両名とも養子?

121 クィントゥス・ファビウス・マクシムス(父名クィントゥス・アエミリアニ?)
116 クィントゥス・ファビウス・マクシムス・エブルヌス
              (父名クィントゥス・セルウィアニ?或いはアウグル)
                        /上記養子の息子?


 ありゃりゃ〜、コルネリウス氏族に負けている……様な気がする……。錯覚に違いない……(笑)。
 非常に系統が分かりやすそうな執政官職歴ですね。いきなり7年連続で、恐らく兄弟間で執政官職を歴任しているんですね(なお、ファビウス氏族が最初に執政官に就任したのはコルネリウス氏族のそれと同年)。

 やっぱりルリアヌスとウェルコスス(クンクタトル)が飛び抜けていますが、他はそんなでもないですね。しかし、特定の系譜でもってやたら強いという事は言えそうです。最初ヴィブラヌス家、中盤マクシムス家、後半は奮わず(泣)。

 ハンニバルが手こずったという、アロブロゲス族を征服したマクシムス・アロブロギクスは、年から行くと121年の執政官、父親がアエミリアヌスかもしれない?人物ですね。だとすると、アエミリウス・パウルスの長男の家系なんだなあ……。


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