家系について:
元サビーニ族の貴族で財に富み、戦闘に優れ、ことに徳の名声と弁舌の技量に秀でていたアッピウス・クラウスス(アットゥス・クラウスス?)が人々の嫉妬を買ったことから、その一族5000人がプーブリコラによってローマに迎え入れられて出た氏族。参政権を賢明に行使して大きな権力を得て、「大氏族」となった。これもまた隠れなき名門である。
- ★アッピウス・クラウディウス・カエクス
- (312監察官、307,296執政官、295法務官、独裁官1回)
- 旧貴族出身ながら監察官として生まれの賤しい人々や解放奴隷を市民とし、それらの援助と重税によってローマ最初の上水道とアッピア国道を建設した。イタリア諸族との戦争にも勇戦し、老齢によって盲目となり(ゆえに「カエクス(盲目の)」と呼ばれた)引退した後も、ローマがイタリアに上陸したエペイロス王ピュルロスと講和を結ぼうとしているのを強硬に反対して斥けた。
- ★アッピウス・クラウディウス・インリギルレンシス・サビーヌス
- (451執政官、451-449十人委員)
- 451年、十人委員会の長に選ばれ、ソロン(有名なアテナイの改革者)の業績をもとにローマ法の基礎となる十二表法を編纂した。しかし任期切れの後も権力を返さず、ウィルギリアという平民の美女に惚れ込んで、権力を利用して彼女を奴隷に落とし、言うことを聞かせようとした。彼女の父ニキウス・ウィルギニウスの抗議にも取り合わなかったが、父が娘を短剣で刺し殺し、軍営で専制者を倒せと扇動したため、激高した平民は聖山への総引き上げを敢行、元老院は十人委員会の解散を決定。彼は追放された。(この項、名前に問題が多い)
- ○アッピウス・クラウディウス・プルケル
- (212執政官)
- 214年、シチリア方面軍司令官となり、シラクサに兵を進めてマルケルルスを助ける。212年執政官となり、クィーントゥス・フルウィウス・フラックスと共に、ハンニバル側に寝返っていたカプアを奪回した。
- ★マールクス・クラウディウス・マルケルルス
- (222,215,214,210,208執政官)270〜208
- 第二次ポエニ戦争の時、5度執政官となり、その積極的戦法をもってハンニバルをしばしば悩ませた。この間シラクサをも攻め、アルキメデス考案の新兵器にも屈せず攻略。後にハンニバルと交戦中、伏兵にかかって死亡。武勇に秀で、「マルケルルス(軍神マルス)」という名を得た。また、ファビウス・マークシムス・クーンクタートルが「ローマの楯」と呼ばれたのと対に「ローマの剣」と呼ばれた。
- マールクス・クラウディウス・マルケルルス
- (198執政官、189監察官)
- 上記の息子。父に同行して、ハンニバル軍とも戦った。189年、第二次マケドニア戦争に勝利したばかりのティトゥス・クィンクティウス・フラーミニーヌスと一緒に監察官となり、護民官のテレンティウス・クーレオーに強いられて、自由人の子を市民として認めることを決定した。
- ○ガーイウス・クラウディウス・ネロー
- (207執政官、204監察官)
- 211年大スキピオの父と伯父の戦死によって、その穴を埋めるべくスペインに急派されたが、ハシュドゥルバル(ハンニバルの弟)の偽りの講和によって彼を取り逃がす。しかし207年、対ハンニバル戦線に投入された彼は、ハシュドゥルバルがイタリアに来援することを知り、その方面の弱体な味方の救援に駆けつけてメタウロの会戦でハシュドゥルバルを破り、すぐさまハンニバル戦線に戻ってハシュドゥルバルの首をハンニバル陣営に投げ込んだ。その強行軍の距離は14日間で1600kmという驚異的なものであった。
- アッピウス・クラウディウス・プルケル
- (143執政官、136監察官、元老院首席)
- クラウディウス家の伝統に従って貴族党を支持し、民衆派に与した小スキピオを非難しているが、ティベリウス・グラックスを気に入って娘を嫁にやっている。その後もティベリウスの良き相談相手となり、その土地法案が通過した時には、グラックス兄弟と共にその分配判定者となった。
クラウディウス氏族の執政官職歴表。
495 アッピウス・クラウディウス・サビヌス・インレギレンシス
471 アッピウス・クラウディウス・クラッシヌス・インレギレンシス・サビヌス
460 ガイウス・クラウディウス・インレギレンシス・サビヌス
451 アッピウス・クラウディウス・クラッスス・インレギレンシス・サビヌス
(2回目)
349 アッピウス・クラウディウス・クラッスス・インレギレンシス
331 マルクス・クラウディウス・マルケルス
307 アッピウス・クラウディウス・カエクス
296 アッピウス・クラウディウス・カエクス(2回目)
287 マルクス・クラウディウス・マルケルス
285 ガイウス・クラウディウス・カニナ
268 アッピウス・クラウディウス・ルッスス
264 アッピウス・クラウディウス・カウデクス
249 プブリウス・クラウディウス・プルケル
240 ガイウス・クラウディウス・ケント
222 マルクス・クラウディウス・マルケルス
215補欠執政官 マルクス・クラウディウス・マルケルス(2回目)
214 マルクス・クラウディウス・マルケルス(3回目)
212 アッピウス・クラウディウス・プルケル
210 マルクス・クラウディウス・マルケルス(4回目)
208 マルクス・クラウディウス・マルケルス(5回目)
207 ガイウス・クラウディウス・ネロ
202 ティベリウス・クラウディウス・ネロ
196 マルクス・クラウディウス・マルケルス
185 アッピウス・クラウディウス・プルケル
184 プブリウス・クラウディウス・プルケル
183 マルクス・クラウディウス・マルケルス
177 ガイウス・クラウディウス・プルケル
166 マルクス・クラウディウス・マルケルス
155 マルクス・クラウディウス・マルケルス(2回目)
152 マルクス・クラウディウス・マルケルス(3回目)
143 アッピウス・クラウディウス・プルケル
130補欠執政官 アッピウス・クラウディウス・プルケル
92 ガイウス・クラウディウス・プルケル
79 アッピウス・クラウディウス・プルケル
54 アッピウス・クラウディウス・プルケル
51 マルクス・クラウディウス・マルケルス
50 ガイウス・クラウディウス・マルケルス(C.f.)
49 ガイウス・クラウディウス・マルケルス(M.f.)
38 アッピウス・クラウディウス・プルケル
「ローマの剣」マルクス・クラウディウス・マルケルスが、最初にマルケルスという副名を得たんじゃなかったんですね。
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