ゲームに役立つ情報
以下は、カードゲーム『十字軍』をプレイするにあたって、役立つと思われる情報で
す。もしプレイヤーの方々のほうで「こうすると良いよ(レーティングやルールなどの
改訂も含めて)」というものがありましたら、私の方にメール下さい。ここに載せたり、
改良の参考にさせていただきたいと思います。
・戦果カードを取るかどうか
……共同攻撃によって敵/都市を撃破した時、戦果カードを選ぶか、敵/都市カー
ドのポイントを選ぶかは、このゲームにおける重要な決断点です。戦果カード
の中身ですが、最高200pt.、最少1pt.である事は分かりますが、平均ではどれ
くらいか、という事も、決断にあたっては重要な情報でしょう。この平均ポイ
ントは、「40弱」というあたりにあります。ですから、敵/都市カードのポイ
ントが10pt.や80pt.なら迷う事はないでしょうが、難しいのは、40pt.の場合
という事になります。
・「エルサレム」カードの四隅に色を塗ると良いです
……「エルサレム」カードは、常に他のカードの山とは別にしておかねばならない
のですが、油断しているとすぐに他のカードと混ぜてしまいます。そこで、
「エルサレム」カードの四隅に色(黒とか)を塗っておくと、混ぜてしまった
時にも、横から見てすぐに見つけることが出来ると思います。もちろん本当は
印刷の時点でそうしてしまえたらいいわけですが、実現不可能なものですから
……。すいません。
・プレイ人数について
……テストプレイにおいては、8人くらいまでプレイしていた事がありますが、プ
レイ自体は充分にできます。ただ、人数が多くなると、「疫病」や「ルノー・
ド・シャティヨン」の効果による戦士カードの喪失の効果が非常に大きくなり
ますので、戦士カードが欠乏してプレイヤーが皆なかなか進めず、ゲームがな
かなか終わらない……となってしまう割合が大きくなると思われます。ですか
ら、7人以上でプレイする場合には、「疫病」「ルノー・ド・シャティヨン」
などのカードをあらかじめ抜いておいてプレイされると良いかもしれません。
・2回目以降のプレイ
……プレイを何度も繰り返す事があるかと思いますが、その際には「前回最もポイ
ントが低かったプレイヤー」から始めると良いと思われます。プレイの順番が
早い方が、理論的には勝ちやすいと思われますし(邪魔される確率も高いです
が(^^;)。
・戦果カードの得られない共同攻撃は?
……「撃破しても戦果カードは得られない」という敵/都市カードに攻撃をかけよ
うとしている手番プレイヤーに、他プレイヤーが共同軍を送る……という事は
意味がないと思っていたのですが、「戦果を横取りする」という意味がある事
が判明しました(^^; 具体的には例えば、「コンスタンティノープル」への攻
撃の際、共同軍側が戦力を多く提供して、「ラテン帝国」を奪ってしまう、と
いう様なケースです。その際、手番プレイヤー(戦力が少なかった側)は何も
得られないのか? というルール解釈上の問題が思い浮かびますが、恐らく普
通に考えてもそう解釈されるであろう通り、「得られない」という事でお願い
します。また、「撃破しても戦果カードは得られない」カードへの共同攻撃は
禁止、なんてこともない、つまり、「戦果横取り」はあり得るという理解でお
願いします。
★歴史的興味のために★
以下のものは、ゲーム化するに際して、資料を読みながら書き留めておいたメモの様
なものです。参考文献とあわせて、ゲームと歴史を楽しむのにお役立て下さい。
都市カード
・ニケーア (ビザンツ帝国のものとなる)
・アンティオキア(半年) → アンティオキア公領
・エデッサ → エデッサ伯領
・要塞都市アマッラ・アン・ヌウマーン(分隊で占領)
・トリポリ? → トリポリ伯領
・ダマスクス(第2回 落ちず)
・アスカロン(第2回 落ちず)
・キプロス(第3回 途中で) → キプロス王国
・アッコン(第3回 3ヶ月程度?)
・ザラ
・コンスタンティノープル → ラテン帝国
・ダミエッタ(5,7th 占領)
・カイロ(5th 落ちず)
・エルサレム → エルサレム王国
敵カード
・ブルガリア人(民衆十字軍を壊滅させる)
・セルジューク族(民衆十字軍を壊滅させる)
・イコニウムのスルタン(ドリレーウムの戦いで敗北)
・モスルのカルブーカー(アンティオキア陥落後に敗北)
・マウドゥード(エデッサ伯領を危機に陥れるが暗殺された)
・イルガーズィー(アンティオキア公軍を壊滅させるが、その後動かず)
・バラク(エデッサ伯とエルサレム王を捕らえるが、暗殺死)
・ザンギー(エデッサ伯領を攻め取るが、暗殺された)
・ヌール・アッディーン(アンティオキア公領、エデッサ伯領などを完全に支配)
・サラーフ・アッディーン
・アッバース朝軍
・アイユーブ朝軍
・マムルーク朝軍
戦士カード
民衆十字軍(1095年)
・民衆十字軍(規律なし)
・隠者ピエール
・ゴーティエ無産公(無一文のゴーティエ)
第1回十字軍(1096〜99)
・ノルマンディー侯ロベール
・フランドル伯ロベール2世
・ブロア伯ステファン
・トゥールーズ伯レーモン・ド・サンジル
・バス・ロレーヌ公ゴドフロワ・ド・ブイヨン(めざましい活躍)
(↑ロートリンゲン?)
・ユーグ・ド・ヴェルマンドワ(ヴェルマンドア伯ユーグ)
・タラント公ボヘモンド(アンティオキア戦で内通者を得た功労者。ボエモン)
・ノルマン騎士タンクレード(・ド・オートヴィル)
(エルサレムで一番に軍旗をかかげた)
・ボードワン・ド・ブーローニュ(ブーローニュ伯ボードワン)
(ゴドフロアの弟。最初のエデッサ伯。力あり)
・「タフール団」(赤貧、棍棒で神の加護を信じて遮二無二進む野蛮な部隊)
・「テュルコプル」(地元キリスト教徒の兵士たち。数少なく信用度低い)
増援十字軍(1101年)
+・レーモン・ド・サンジル(小アジア山中でトルコ人によって皆殺しに)
+・ギヨーム・ド・ネヴェール(小アジア中央部でトルコ人によって皆殺しに)
+・ギヨーム・ド・ポワティエ9世(同上)
+・ヴェルフ・フォン・バイエルン4世(同上)
第2回十字軍(1147〜49)
・ドイツ皇帝コンラート3世(小アジアでほぼ全滅)
・フランス王ルイ7世(エルサレムへ急ぐも戦果挙げず)
・アンティオキア公レーモン・ド・ポワティエ
(アリエノールの叔父。献策正し。ヌール・アッディーンに敗北)
第3回十字軍(1189〜92)
+・ピエモンテ候コンラッド(ティルスをサラディンから守る)
・ドイツ皇帝フリードリヒ1世赤髭王
・フランス王フィリップ2世尊厳王
・イングランド王リチャード1世獅子心王
・オーストリア侯レオポルド5世(アッコ一番乗り)
・ドイツ皇帝兼シチリア王ハインリヒ6世(準備充分したが急死。1197年)
第4回十字軍(1202〜04)
・モンフェラ辺境伯ボニファチオ
・フランドル伯ボードワン9世
第1回アルビジョア十字軍(1209〜20)
・シモン・ド・モンフォール
・アルノー・アマルリック
子供十字軍(1212)
・子供十字軍エティエンヌ(フランス)
・子供十字軍ニコラウス(ドイツ)
1217〜21年の十字軍(第5回十字軍に換算されることもある)(1217〜21)
・エルサレム王ジャン・ド・ブリエンヌ
・ハンガリー王アンドレア2世
+・オーストリア侯レオポルド6世(途中で挫折)
第2回アルビジョア十字軍(1226)
・フランス王ルイ8世
第5回十字軍(1228〜29)
・ドイツ皇帝兼シチリア王フリードリヒ2世
1239年の十字軍(1239)(イスラム側の内訌で幸運な戦果を得るが、一時的)
+・シャンパーニュ伯兼ナヴァール王ティボー4世
+・ブルゴーニュ公ユーグ4世
+・ブルターニュ伯ピエール・モークレール
+・バール伯アンリ(ガザ付近で虐殺される)
第6回十字軍(1248〜54)
・フランス王ルイ9世聖王
(1269)
・アラゴン王ハイメ1世(大嵐で5日で挫折)
第7回十字軍(1270)
・フランス王ルイ9世聖王(チュニスで多数の戦士とともに病死)
1271年の十字軍(1271)
・イングランド王エドワード1世
アラゴン十字軍(1285)
・フランス王フィリップ3世
ロードス十字軍(1308)
・聖ヨハネ騎士団
キプロス十字軍(1343〜44)
・キプロス王?ユーグ4世
・聖ヨハネ騎士団
1366年の十字軍(1366)(オスマントルコのコンスタンティノープル包囲に対して)
・サヴォア伯アメデ6世(ガリポリを一時占領)
ニコポリス十字軍(1396)(オスマントルコのハンガリー征服に対して。大敗北)
・ハンガリー王ジギスムント
・ブルゴーニュ公ジャン無畏公
・聖ヨハネ騎士団
フス派討伐十字軍(1420〜33?)
・神聖ローマ皇帝兼ハンガリー王兼ボヘミア王ジギスムント(ボヘミアで完全敗北)
ハンガリー十字軍(1440〜1448)(オスマントルコに対してバルカン半島で)
・ジャン・フニャディ
以下はデヴェロッパーの刑事ボロンコさんの発言からの引用・転載です。
>・モントジョア聖母騎士団
> 1176年頃に元サンティアゴ騎士団員が聖地で創設し、1180年に騎士修道会に
> 承認された。ヒッティーンの戦いにも一部が参戦。
>戦士カードを増やす場合に入れて欲しいカード
> ・シャンパーニュ伯兼ナヴァラ王チボー4世
> ・エルサレム王ギー・ド・リュジニャン
> ・ロベール・ド・アルトワ
>
>ロベール・ド・アルトワですが、聖王ルイ9世の弟です。第七次十字軍の将としてルイ
>と共にダミエッタに上陸しました。
>ここで重病のアイユーブ朝スルタンのサーリフから
>「エルサレム・アスカロン周辺を全部あげるから、エジプト攻めを中止してダミエッタ
>を返して欲しい」
>という好条件の和平提案を受けましたが、ロベールは
>「エジプトもエルサレムも今なら両方とれるから、こんな和平は蹴ってしまえ」
>と主張し、和平は流れます。
>結局、1950年のマンスーラの戦いで先鋒部隊を率いたロベールは、バイバルスの巧
>妙な邀撃にあって大敗し、戦死しました。
>彼は第七次十字軍の「疫病神」と後世評されたそうです。
>「2D−4」とか(爆)
>
>
>シャンパーニュ伯兼ナヴァラ王チボーは1239年の十字軍の主将。カイロとダマスク
>スの不和に乗じてほとんど戦わずにエルサレムを単独占拠し、ガリラヤ地方を制圧しま
>した。
>この人、なんと十字軍の歌を作っています!
>「Dame ensinc est qu'il m'en convient aller」というタイトルだそうで。
>聴きたい人はこの曲が入っている教会音楽のCDもあるらしいですよ。
>(CDナンバー:Arion, ARN 268428 (2CD))
>「2D−1」くらいでしょうか。
>
>ギー・ド・リュジニャンは「ハッティーンの敗者」ですね。サラディンの前に見事に敗
>れて王国を失います。
>直後の第三次十字軍ではアッコン攻城の主将になってます。
>実際、かな〜りいい加減な人物のようですけど(笑)
>「3D−6」とか(おいおい)
>・第五回十字軍でエルサレム王ジャン・ド・ブリエンヌに代わって指揮を執り、
> スルタンのエルサレム返還の申し出を拒絶してカイロ攻撃を強行し、イスラム
> のナイル堤防決壊の奇策と猛反撃で全軍壊滅を招いた
> 「法王代理ペラギウス枢機卿」
DSSSM:dsssm@cwa.bai.ne.jp