シナリオチェック董卓
『英雄三国志』登場シナリオチェック表:董卓
年 189 189 194 196 199 200 202 208 210 214 217 220 223 228 234 239
シナリオ 1a 1b 2a 2b 2c 3a 3b 4a 4b 5a 5b 6 7 8 9 10
董卓 ○ ○
董旻 ○ ○
牛輔 ○ ○
李[イ寉] ○ ○
○ ○(独立勢力)
郭[シ巳] ○ ○
○ ○(独立勢力)
張済 ○
+(李[イ寉]・郭[シ巳]配下)
▲ ○(独立勢力)
張繍 ○
+(李[イ寉]・郭[シ巳]配下)
▲ ○(張済配下)
○(独立勢力)
○ +(曹操配下)
呂布 ○(丁原配下)
○(董卓配下)
○ ○
張遼 +(丁原配下)
+(董卓配下)
+ +(呂布配下)
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○(曹操配下)
華雄 ○ ○
李粛 ○ ○
賈[言羽] ○
+(李[イ寉]・郭[シ巳]配下)
▲ ▲(張済配下)
○(張繍配下)
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ +(曹操配下)
李儒 + ○
蔡ヨウ ○
王允 ○(丁原配下)
○
馬日[石單] ○(丁原配下)
○
士孫瑞 +(丁原配下)
+(董卓配下)
樊稠 ○
徐栄 ○
董承 ○(李[イ寉]・郭[シ巳]配下)
○ ○ ▲ ▲(曹操配下)
韓暹 ○(李[イ寉]・郭[シ巳]配下)
楊奉 ○(李[イ寉]・郭[シ巳]配下)
徐晃 ○(李[イ寉]・郭[シ巳]配下)
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○(曹操配下)
★董卓、董旻、牛輔、李[イ寉]、郭[シ巳]、華雄、李粛、蔡ヨウ、王允、馬日[石單]、
樊稠、徐栄、徐晃
問題なし
★張済、張繍
この二人は194年には李[イ寉]・郭[シ巳]配下である。張繍は曹操配下となり、207年
の烏丸征伐の途中死去している。
★賈[言羽]
賈[言羽]は194年シナリオ当初(献帝がまだ長安にいる頃)は、李[イ寉]配下である。
張済配下となっているのはおかしい(というより、張済自身がこのころ李[イ寉]・郭[シ巳]
配下である)。その後、賈[言羽]は張繍配下となるまでは段[火畏]配下となっている。
段[火畏]は長安にいた将軍であるが、ゲームには登場しないし、ゲーム上長安は李[イ寉]
・郭[シ巳]の領土であるため、登場させる事が出来ない。196年シナリオにおいては
賈[言羽]は登場しない(武将プールにいる)とすべきであろう。199年シナリオは張繍
配下でよい。
賈[言羽]の没年は不明だが、224年の呉への侵攻を諫めているのが最後の記述である。
223年シナリオを最後として228年シナリオには登場しないのがよいだろう。
★李儒
李儒は正史には出てこない? 正史年表には190年正月、「董卓は李儒に命じて先帝
劉弁を毒殺させる」とあるが、索引に李儒の名前はなく、董卓伝をざっと見た限りで
は見つからなかった。演義によれば李儒は董卓の女婿であるという事なのだから、董
卓の親族武将とすべきではないのか? 演義によれば李儒は董卓の洛陽行きに名分を
持たせる為の策略などを行っている。その事を考えれば、シナリオ1aから存在すべ
きだろう。
死亡時期に問題なし。
★韓暹、楊奉
この二人は献帝が曹操に迎えられたあと、徐州のあたりをうろちょろしている。恐ら
く196年当時には袁術のところにいたのだと推察されるが、袁術配下に加えるというの
もばからしい話である(大体、彼らは袁術を裏切っているし(演義))。194年シナリ
オに登場するだけでよかろう。
★董承
董承は196年に曹操配下となったが、武帝紀によれば200年、董卓伝によれば197年に
処刑された事になっている。武帝紀の記述の方がより詳しいので、200年説をとるべき
であろう。
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