シナリオチェック袁紹


『英雄三国志』登場シナリオチェック表:袁紹

     年   189 189 194 196 199 200 202 208 210 214 217 220 223 228 234 239
 シナリオ  1a 1b  2a  2b  2c  3a  3b  4a  4b  5a  5b  6 7 8 9 10

 袁紹    ○ ○ ○ ○ ○ ○
 高幹    ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
 袁遺(除去)○ ○
 袁譚        ○ ○ ○ ○
                   ○(独立勢力)
 袁煕        ○ ○ ○ ○ ○
 袁尚        ○ ○ ○ ○ ○

 郭図    ○ ○ ○ ○ ○ ○
                   ○(袁譚配下)
 田豊    + ○ ○ ○ ○ ○
 逢紀    + ○ ○ ○ ○ ○ ○
 許攸    + + + + + ○
                   ○(曹操配下)
 淳于瓊   ▲ ▲ ○ ○ ○ ○
 文醜    ▲ ▲ ○ ○ ○ ○
 顔良    ▲ ▲ ○ ○ ○ ○
 審配        + + + ○ ○
 陳琳        + + + ○ +
                   ▲ ○ ○ ○ ▲(曹操配下)
 荀[言甚]  + +(韓馥配下)
           ○ ○ ○ ○
 沮授    + +(韓馥配下)
       ▲ ▲ ○ ○ ○ ○
 張[合β]  + +(韓馥配下)
           + + + ○
             (曹操配下)○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○


 ★袁紹、袁譚、袁尚、袁煕
 袁紹は202年病死。袁譚は205年曹操に斬られる。袁尚、袁煕は207年公孫康にだまし
討ちにされて死んだ。

 ★高幹、荀[言甚]
 袁紹伝での初出は192年。荀[言甚]は袁紹が冀州を手に入れた後に仕えたらしい(荀
[或〃]伝)。よって、191年か192年頃であろう。しかし演義では荀[言甚]はもともと韓
馥に仕えていた事になっており、これを尊重するならシナリオ1には荀[言甚]は韓馥配
下となる。荀[言甚]は200年まで登場するが、没年不明。高幹は206年死亡。


 ★沮授
 沮授は最初韓馥に仕えており、袁紹が(韓馥を追いやって)冀州を手に入れると、袁
紹に仕えた。200年曹操の捕虜となったが、脱走しようとして殺された。


 ★田豊
 192年?の公孫[王贊]戦に初出。あるいは「袁紹が義兵を挙げた時(189年か?)」。
200年、袁紹に殺された。


 ★郭図、淳于瓊
 195年頃初出? 郭図は袁紹が冀州を手に入れる事に功績があったらしい(臧洪伝)。
よって191年頃か。淳于瓊は200年戦死、あるいは処刑死。


 ★顔良、文醜
 正史では200年初出。演義では顔良・文醜は孫堅との関係で出てくる。孫堅の死は191
年あるいは192年であり、またこの事件は189年よりは後であろう。顔良・文醜は200年
死亡。


 ★陳琳
 陳琳は袁紹の対臧洪戦(195年)に初出。袁紹死後は袁尚配下。陳琳は205年、曹操配
下となる。陳琳は217年に死去した。

 ★張[合β]
 張[合β]はもと韓馥配下である。韓馥が敗北すると袁紹に身を寄せた。200年、曹操
に帰順。231年戦死。


 ★許攸、逢紀
 「袁紹が董卓のもとから逃亡した時、いっしょに」とある。189年当時からの配下で
あろう。許攸は200年曹操に帰順するが、205〜7年以降頃に処刑された。逢紀の没年は
正史では不明。演義では、袁譚陣営に呼び出され、そこで斬られたという。


 ★審配
 袁紹が冀州を支配する(191年)と策略を立てる仕事を任された、とある。審配は204
年曹操に捕まって帰順せず殺された。



 ☆辛[田比]を登場させるべきではないのだろうか?


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