リプレイ(1999/10/11)



 10/11の関西ゲームオフでは、『英雄三国志』の水軍のルール習得&確認&修
正の為に、208年シナリオ(赤壁シナリオ)を行いました。「最終的に曹操は赤
壁の戦いをしなければならない」の約束つきです(^^)

 プレイヤーは、カードをランダムに引いて、

 曹操         …… 月友さん
 劉備&劉[王宗]&馬騰 …… 忠武っ子さん
 孫権&劉璋      …… DSSSM


 と決まりました。


 さて、208年、すでに曹操は圧倒的な領土を抱え、劉[王宗]の領土は風前のと
もしび。赤壁の戦いをやることになっているので、劉[王宗]の持つ5水軍を手に
入れる為に曹操が侵攻するのは必至かと思われた。これを防ぐには、劉[王宗]の
持つ戦力を劉備に貸し与え、曹操を攻撃するしかない……(元のルールでは不可
能だが、修正ルールによって可能にしてあった)。

 だが、戦力の譲渡は「内政整備」カードが出なければ出来ず、それより先に曹
操の順番カードが出れば機先を制されてしまう。たとえ先に「内政整備」カード
が出て戦力譲渡が出来たとしても、そのあと劉備のカードが出る前に曹操のカー
ドが出れば、手薄になった劉[王宗]の領土が席巻されて終わりになる。これはい
ちかばちかの賭けであった。しかし、劉備&劉[王宗]としてはそれに賭けた。

 結局驚くべき事に、順番カードは一番最後の2枚が曹操カードだったという感
嘆すべき天の配剤で、劉[王宗]の戦力を得た劉備軍が曹操の本拠許都に侵攻した。
劉備軍54000、曹操軍66000。武将は、

 曹操軍の総大将:曹操
     軍師:荀[或〃]
     副将:夏侯惇
     先鋒:張遼

 劉備軍の総大将:劉備
     軍師:諸葛亮
     副将:趙雲
     先鋒:関羽

 というまさにオールスターメンバーであった。

 戦局は一進一退。一時は劉備軍が戦力的に上回り、曹操は「劉[王宗]の戦力を
貸し与えるなんて反則だぁ〜。。(ノ><)ノ ヒィ」と泣きが入った事もあったが、途中
で関羽が傷を負って戦場から離脱した事が決定的に響き、最終的には曹操軍が
24000の兵力を残しているところで劉備軍は12000の兵を率いて撤退した。

 関羽の負傷がなければ、許都は落ちたかもしれなかった。しかしこれ以後も、
関羽の負傷が展開に大きな影響をもたらすことになる。


 しかしながら、曹操の戦力が大幅にダウンした事も事実である。孫権はその隙
に蛮族討伐を行っておこうと、新しく動員した兵力を長江南岸に配置した。思え
ばこれが大きな間違いであった。

 ありあまる経済力にものを言わせてあっという間に戦力の復興を成し遂げた曹
操は、長江北岸の孫権領2つ(淮南、揚州)のうち揚州に侵入! 戦力を2分割
していた事に加えて、総大将に周瑜がなれる事をすっかり忘れていた孫権の落ち
度もあって曹操軍の攻撃をはね返す事ができず、周瑜らの長江北岸軍は残存兵力
12000を率いて淮南へ撤退(船を揚州岸に置いていなかったため、長江を渡って
撤退できない)。しかし、淮南へ撤退というのは、曹操の領地の真ん中に孤立す
る、という事であり、再度の攻撃を受けたら、周瑜軍の多くは帰って来られない
であろう。孫権軍は色めき立った。なんとしても周瑜らを救わねばならない。

 このゲームでは、軍の主力は自分の順番が終わる時には前線から内地へ帰るの
がセオリーである。揚州には最低限の防衛部隊6000しか残されていない。揚州を
奪還し周瑜らを回収するために、長江南岸で蛮族討伐に出すつもりであった諸葛
瑾や甘寧らの率いる18000の兵を揚州攻撃へ回すように孫権は命じた。ところが
ここで意外な事が起こった。諸葛瑾が「この遠征はするべきでない」と孫権に対
して言上したのである。説明を全部聞かぬうちに孫権は怒り狂って言った。「我
が兵や周瑜らを見殺しにするつもりか!? この馬づらめが!!」 孫権は諸葛
瑾を罷免してまでも、揚州攻撃を行わせた。

 だが、なんと、揚州の戦いで甘寧が重傷を負い、18000の孫権軍は全滅を喫し
てしまったのである!! 遠征軍に参加していた蒋欽と韓当だけが、重傷の甘寧
を連れて逃げ帰ってきた。報告を聞いた孫権は泣き崩れた。「子瑜よ、私が悪かっ
た……。戻ってきてくれ。」 諸葛瑾はこの結果を見越していたのであろうか?
だが、罷免された諸葛瑾の行方はようとして知れなかった。

 淮南の周瑜らの軍は、自力での脱出を試みる他はなくなった。淮南から揚州へ
の攻撃は成功し、揚州を確保したが、船は依然として長江南岸にあり、渡る事は
できない(あっても渡るのに手間がかかるため渡れなかったのだが)。長江は雄
大であり、孫権軍にとっても越え難き壁であったのだ。その間に、曹操軍が再度
侵入してきた。今度は淮南を制圧してから揚州へ。揚州の周瑜らはまったく手も
なく全滅する他なかった。黄蓋と程普は曹操軍の捕虜となり、太史慈と呂蒙は行
方知れず。ただ周瑜と孫瑜だけがなんとか建業へ逃げる事が出来た。程普は曹操
を罵って首を斬られ、黄蓋は帰順を拒み続けて、後に感心した曹操に呉へ帰る事
を許された(しかし本当は、黄蓋の首を斬って人徳が下がるのがイヤだったので
ある(^^; 既に程普の首を斬ってしまい、人徳が下がっていた)。


 その間、さらなる不幸を一身に受けた馬騰が、2回の疫病で程銀と侯選を失い、
[厂+龍]悳を劉璋に引き抜かれ、凶作で税収値が半分になっていた。ご愁傷様……。
なむなむ。

 他にも不幸を貰った人はいた。劉備が宦官を引き、今後人材登用が出来なくな
り、人徳も毎ターン下がるというのである。一方曹操は[厂+龍]統という人材を得
た。「これで我が勝利はなったも同然じゃ!」


 さて、続けて劉[王宗]から援助を受けていた劉備は戦力を回復し、曹操支配下
になった揚州を攻める。揚州には曹純がいた。「孫権軍にいたら最強の名を欲し
いままにするであろう」と言われた曹純である(意味不明)。劉備軍からは関羽
が出て、曹純に一騎打ちを挑んだ。だがなんと、ここでも関羽は曹純に敗北し、
あろうことか重傷を負ってしまう! 撤退した劉備軍に待ち受けていた運命は、
曹操の「関羽が戦場に立てない間に劉備を滅ぼしてしまおう」という戦略であっ
た。兵力は曹操軍84000、劉備軍12000。

 曹操軍は総大将:曹操
     軍師:[厂+龍]統
     副将:夏侯惇
     先鋒:魏延
    遊撃軍:于禁、夏侯淵

 劉備軍は総大将:劉備
     軍師:諸葛亮
     副将:張飛
     先鋒:趙雲


 関羽を欠いて副将というポストに張飛を置かざるを得なかった劉備軍にはまっ
たく起死回生の目もなく、戦闘の途中で孫乾と張飛が捕まり、張飛はあっさりと
曹操に帰順。結局劉備軍は全滅し、麋芳、麋竺、趙雲、劉備が捕虜となり、麋芳
は帰順を嫌って殺され、麋竺、趙雲は曹操に降った。劉備は野に放たれ、ただひ
とり捕虜になる事をまぬがれていた諸葛亮は、劉備の元に付き従った。その他に
曹操が手に入れたのは、江夏の地と、水軍1つ、それに宦官であった(^^;


 さて、どどめ色の不幸を背負った馬騰は、制圧していた姜族に反乱を起こされ、
馬岱を失う(; ;)ホロホロ しかし今まで人材登用の時に修正を忘れていた事が判明し
て、人材を2人引く事になった。得られた人材は、なんと太史慈と諸葛瑾!!!
喜ぶ馬騰、泣く孫権。なぜ彼らが馬騰に仕える事になったのか、馬づらの諸葛瑾
が馬にひかれたのか、それは知るよしもない。

 曹操の元では、宦官を[厂+龍]統が追い出し、最終的に帰順を拒んだ孫乾が首
を斬られる(かわいそうに……)。その頃、交州では劉備が関羽、諸葛亮ととも
に再度の旗揚げをしていた。


 益州では劉璋は人知れず勢力を伸ばし、長安への侵入の機会をうかがっていた
が、その前に馬騰軍に侵入され激突! 劉璋は30000の兵をいきなり失い、長安
侵攻の為の兵力をごっそり失う事になった。だが、[厂+龍]悳が一騎打ちで馬超
を捕らえ、勝利はもぎ取った。

 益州北部でその様に激戦が繰り広げられている中、劉[王宗]は「曹操に滅ぼさ
れても逃げられるように、巴群をとっておこう……」と軍を動かしたが、先鋒の
文聘が民兵に斬られ、尻尾を巻いて退散する。「劉[王宗]が戦ったら、いかにも
こうなりそうだよなぁ……(^^;」


 益州あたりが騒がしい間に曹操は長安に帝都を建設。献帝から禅譲を受けて魏
王朝を立て、水軍を作り孫権攻めの用意を整えていた。

 214年、ついに赤壁の戦い起こる!!

 孫権軍は8水軍あったが、兵力不足もあり6つしか使えず。兵力は30000。曹
操軍は10水軍、兵力は102000。

 曹操軍は総大将:曹操
     軍師:[厂+龍]統
     副将:夏侯惇
     先鋒:趙雲

 孫権軍は総大将:周瑜
     軍師:蒋欽
     副将:黄蓋
     先鋒:甘寧

 兵力不足のみならず、指揮官の劣勢も明らかである。軍師が蒋欽とは!(; ;)ホロホロ

 孫権軍は総大将周瑜以下が全員最前線の船に乗り込んで指揮をとった。まず先
攻決定。先攻を取らねば焼き討ち船は使えない。「周瑜さま、サイコロお振り下
さい」「うむ。はぁっ! 1!。。(ノ><)ノ ヒィ」 曹操軍の焼き討ち船が黄蓋の乗
船する船にぶつかって燃え上がる! そのまま、[厂+龍]統の策によって連接固
縛された、孫権軍の水軍に倍する曹操軍の艦隊がどどどどどど〜〜っとぶつかっ
てきていきなり孫権軍水軍は壊滅!(趙雲が先鋒に立っていた。孫権軍の先鋒甘
寧は、なにもできずにやられた) 韓当、蒋欽が戦死、そのまま曹操軍は呉郡へ
上陸、わずかな守備隊しか残っていなかった建業の町を攻め落とし、孫権らは西
方の予章へ落ち延びざるを得なかった。


 続けてプレイしたら、孫権は滅亡せざるを得なくなり、曹操はますます完全な
勝利を手にした事でしょうが、とりあえずここでゲームセット。この時点での勝
利得点は、

 曹操:84
 劉璋:24
 馬騰:14
 孫権:13
 劉[王宗]:6
 劉備:3

 でした。

 いやー、「帝都」ってはじめて見ました(^^; それにしても、曹操の経済力は
ものすごかった! 他のプレイヤーが資金10のあたりをうろうろしている時に、
80くらいありましたから。水軍も、手に入れたのは劉備軍の1個だけで、あとは
全部曹操が購入したものでした。

 孫権は、劉備軍が曹操を弱体化させてすぐ、曹操領内へ攻め込むべきだったん
でしょうね。周瑜が総大将になれるという修正ルールをちゃんと覚えていれば、
総大将周瑜、軍師諸葛瑾というタッグが組め、それを用いれば思っていたよりは
派手なことが出来たはずでした。しかしまあ、「赤壁を起こして水軍ルールを使
用したプレイをする」という目標から考えれば、あの展開で良かったのかもしれ
ません。しかし、このプレイでは「どっかーん!!!」という戦闘になってしまっ
たので、後でちまちまと模擬水軍戦闘をやってみたら、ぼろぼろとルールの曖昧
な点が見つかり、結構多くの修正ルール加筆がなされたのでした。







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